「現状に満足せず、常に課題を見つけ続けてきた」車いすテニス・国枝さん会見2月7日(全文2)
14年前に掲げた目標の達成感は
記者:TBSテレビの【山本 00:32:32】と申します。国枝選手、お疲れさまでした。14年前の2009年のプロ転向会見の中で国枝選手は、車いすの子供たちにも、俺、車いすプレーヤーになりたいという夢を持ってもらえるんじゃないかとお話ししていらっしゃいました。その目標について、達成感というものはありますか。 国枝:これは、今も上地選手や小田選手が本当にプロ転向して活躍してるっていうところに、自分自身のそのときの言葉っていうものが本当に実現したなっていうふうに思える瞬間でもあるので、もしかしたらそのとき、プロ転向したときに思ってた以上に、そういった足跡っていうのはくっきりと残せたのかなっていうふうには思いますね。またその選手以外にも、やっぱり若い車いすのテニスの選手、今すごく増えてきてて、日本では。そういった選手がどんどん海外に今チャレンジしているので、自分がやってきたことが少し彼らに影響を与えることができたのかなっていうふうに思うと、やってきた意味があったなっていうふうにも思える瞬間ですね。
奥さまの存在、サポートへの思いを聞かせて
記者:多くの子供たちが国枝選手の活躍によって夢を抱いたと思うんですが、その国枝選手の活躍を支えていらっしゃったお1人が奥さまだと思うんですね。以前、国枝選手は、奥さま、愛さんがいなければここまでやってこれなかったとお話ししていらっしゃいました。あらためて奥さまの存在、サポートへの思いを聞かせてください。 国枝:本当に一番はやっぱりリオの、2016年のときに、相当、僕自身も追い込まれていたときにやっぱり妻の存在はすごく大きくて。メディアの前ではどうしても強気な発言だとか、金メダル取りますだとかっていうのを言わなきゃいけない感ってやっぱりあるじゃないですか。それは、どんな自分自身が傷を負ってても、やっぱりそこで弱音を言ってしまうとプレーにも出てしまうなっていう思いもあったので言えなくて。それを言えるのが、家に帰って妻に、もう無理かもだとか、もう試合間に合わないなとか、もうプレーできないなとか、引退かなとか、そういった言葉は、吐き出せる場所があるっていうところは、きっと僕の競技にはすごく助けになってたんじゃないかなっていうふうに思いますし。 16年から、翌年かな、17年からは一緒に大会も帯同してくれて、やっぱりテニスって1年間、世界各地を回って、わりと孤独なんですよね。1人で全てをやってっていう中、妻がいるだけで、ホテルに帰れば家のようなアットホームな雰囲気が流れるっていうだけでも、十分、オンとオフが、くっきりはっきり切り替えることができるっていうところは、すごく助けになったと思いますね。 記者:ありがとうございます。 司会:ありがとうございました。では続いて質問のある方、挙手をお願いいたします。今度はあちら側で手をあげていらっしゃる方ですね。ステージから向かって右側の方です。はい。 【書き起こし】車いすテニス・国枝さん会見2月7日 全文3へ続く