「1000分の1も怒らなくなりました」名門野球部の“熱血コーチ”だった男が女子野球部の監督に?…37歳指導者が驚いた「男女のギャップ」
かつては名門野球部のキャプテンとして、その後は強豪校のコーチとして。東北の高校野球の第一線で活躍した松崎克哉が、この4月に就任したのは福島・聖光学院に創部された「女子」野球部の監督。37歳の若手指導者が、異例の決断を下した理由はなんだったのだろうか? <全2回の1回目/2回目を読む> 【写真】「ピースサインの女子部員が楽しそう…でもトレーニングは鬼キツ!」4月に創部した聖光学院女子野球部の練習風景…強豪校の熱血コーチ→監督就任の松崎さんの指導の様子も見る 松崎克哉は体を震わせていた。 背筋がざわつき、おそらく顔も紅潮してきているのだろう。これまでなら抱いた感情に従ってよかったのかもしれない。しかし、立場が変わった今、自分の想いをそのまま解放していいのだろうかと、逡巡する。 結果的に松崎は、声を荒らげた。 今年の3月まで甲子園出場16回を誇る強豪、盛岡大附で部長兼コーチとして15年間、腕を振るってきた松崎は、4月に誕生した聖光学院女子野球部で監督となっていた。
「むやみに怒ることは止めよう」
指導者のキャリアで初めて女子を教えることもあり手探り状態が続くなか、松崎が心掛けていたのが「むやみに怒ることだけは止めよう」だった。 「盛附(盛岡大附)では毎日のように怒っていましたけど、ここに来てからは1000分の1も怒らなくなりましたよ」 そういって自嘲気味に笑う松崎が、怒気をはらませながら選手たちを戒めたのには相応の理由があったことになる。 「野球選手としてダメなところが出ていたわけですよ。野球で調子が悪いと人に挨拶できない、ボールも拾わないとか。『野球選手以前に、一人間として恥ずべき態度だ』ということで怒鳴っちゃったんです。普段は怒るべき場面でも、できるだけ冷静に話すようにしているんですけど、あのときはちょっと。『強く言わないと』と思ってしまい……」 強烈に叱責された選手たちはその場で萎縮してしまい、練習場からの帰りのバスの中でも沈黙は続いていた。ハンドルを握っていた松崎はすでに怒りの感情はなく、そんな選手たちの姿を見て、自らを省みる。 やっぱり間違っていたな、と。 「野球をする上で緊張感は大事ですけど、選手を萎縮させて緊張感を植え付けるのは違うな、と。それって、ただ恐怖心を与えるだけじゃないですか。そんなことを思ったものですから、すごく反省しまして」 翌日、松崎は怒りの衣を脱ぎ捨て、できるだけ昨日の光景を選手に思い出させないよう意識し、指導に臨もうとしていた。 杞憂だった。選手たちはまるで、監督から怒鳴られたことなどなかったかのようにはきはきと挨拶し、笑顔で練習に励んでいたのだ。 「切り替え、早すぎんべ」 松崎は、選手たちに救われた気分になった。 「自分は反省しているのに、彼女たちは気にしてる様子がなく(笑)。それでいいんですけど、やっぱり男子と女子の接し方というか、対応の匙加減は難しいなって思いますね」 松崎が求める聖光学院女子野球部の根幹とは、男子野球部と同じ「不動心」である。 聖光学院において、不動心とは神髄だ。 その言葉通り「揺るぎない心を養う」ことはもちろん、「不幸をどれだけ受け入れ、自分を律せられるか」といった意味も込められている。松崎が選手たちを叱りつけたのは、チームで決めた精神を裏切る行為が許せなかったからでもあった。 それだけ、松崎の体にはこの不動心が血液の如く脈々と流れているのだ。
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