チケット2000枚がキャンセルに…元横綱・白鵬‟宮城野部屋“の人々が直面する「厳しすぎる現実」
大相撲の本場所と地方巡業がない6月は、現役を引退した力士たちが髷を落とす、「断髪式」の季節だった。 【写真】美女と朝まで痛飲、酔ってファンへ「フォー!」…白鵬「はっちゃけ過ぎパリピ現場」写真 6月1日の元幕内・石浦の「石浦引退間垣襲名披露大相撲」に始まり、2日は元幕内・明瀬山(現・井筒親方)、8日は元幕内・千代の国(現・佐ノ山親方)、23日には照強(元幕内)と、断髪式が続いた。明瀬山、千代の国、照強は国技館の土俵を使って、断髪式をメインにしたスタイルだった。 元石浦は、宮城野親方(元横綱・白鵬)の内弟子として、’13年初場所でデビュー。父が相撲の名門・鳥取城北高校相撲部監督だったことから、子どもの頃から相撲に親しんだ。’16年には新入幕を果たしたものの、頚椎負傷の影響で、’23年6月に引退を表明。以後、宮城野部屋の部屋付き親方として、若手力士の指導の傍ら、引退相撲の準備に取り組んでいた。 事件は、準備も大詰めの2月末に起こった。 弟弟子で、当時、幕内力士だった北青鵬の暴力事件が発覚。北青鵬は引退勧告を受け、師匠の宮城野親方も2階級降格、減俸などの処分を受けたのだ。そればかりでは済まされなかった。宮城野親方の責任能力が疑問視され、4月から、一門の伊勢ヶ濱部屋(元横綱・旭富士)が、宮城野部屋を預かることにーー。 春場所のために大阪入りした宮城野部屋の力士たちの動向は注目の的となり、ケガの治療などにも行けない状況の中、幕下・宝香鵬ら数人は引退を決意した。そして場所後には、宮城野部屋の閉鎖が決定。2親方と所属力士らが伊勢ヶ濱部屋へ転籍することが決まった。 こうしたゴタゴタは、当然、元石浦の引退相撲開催にも影響を与えた。 「すでに予約が入っていた引退相撲のチケット2000枚がキャンセルされてしまったのです。旧部屋の閉鎖でHPなどでもアピールできず、夏場所中も元石浦は奔走していました」(スポーツ新聞記者) 元石浦の断髪式は、「石浦引退 間垣襲名披露大相撲」と銘打っている。これは、十両以上の関取衆の取組をお客さんに見せて、初切や相撲甚句などの催し物も取り入れ、地方巡業さながらの興行を打つことを意味する。 「最近では、元明瀬山らのように、国技館に後援者やファンを呼ぶ、断髪式に特化した手法が流行しています。1力士の断髪式で数千人の客を国技館に入れるのは、元大関クラスでも至難の業。ただ、元石浦の場合、『白鵬の内弟子』という大看板、鳥取城北高というバックがあるから、億単位の金が動く興行に踏み切ったのです」(相撲ライター) 事件当初は、「悪者扱い」されていた宮城野親方と旧宮城野部屋の面々だったが、「協会の処分が重過ぎる」「かわいそうだ」などと、ファンの同情と応援を集めるようになり、キャンセルが出たチケットも一般ファンに販売された。 そして、当日は、午前10時の開場からファンが次々に入場し、2階席も観客で埋まった。旧宮城野部屋の川副(元十両)らの初切、「石浦最後の一番」では、石浦の長男、次男が土俵に上がり、相撲甚句はホープ・伯桜鵬(十両)が歌い上げる。また、伊勢ヶ濱部屋力士VS.鳥取城北高相撲部対抗戦まで用意されて、普段見られない力士たちの姿に観客は大喝采だ。 断髪式は、鳥取城北高と日大相撲部の先輩、後輩のほか、母や長女など60名近い女性たちも、土俵下からはさみを入れた。石浦の父、宮城野親方のあと、止め鋏は現師匠の伊勢ヶ濱親方によって入れられた。 「宮城野親方は、社会不適合者だった私を拾ってくれた方。親方に声をかけてもらえなかったら、大相撲の世界に入っていなかったと思うし、それを想像すると怖いです(笑)。宮城野親方には『ありがとう』と言っていただき、私のほうも『こちらこそです』と。首のケガで最後は思うような相撲が取れなかったのですが、親方、応援してくださった方に、感謝の気持ちでいっぱいです」と、元石浦。 また、休場中の部屋の後輩、炎鵬(元幕内)が弓取り式を務める、うれしいサプライズもあった。 「(同じ小兵力士で)尊敬する間垣親方の断髪式に協力できてうれしい。弓取りは、これまで経験がなくて、今日の出来は今ひとつでしたが、来場した皆さんに喜んでもらえてよかったです」 炎鵬は明るい笑顔でこう振り返った。 6月15日には、宮城野親方が横綱・白鵬時代、長く付け人を務めた宝香鵬も、17年にわたる土俵生活に幕を下ろした。都内のホテルでおこなわれた断髪式には、130名の支援者が鋏を入れ、最後に元師匠の宮城野親方が止め鋏を入れると、「(元)師匠に髷を落としてもらって、幸せです」と、宝香鵬は感極まった表情を見せた。 今後も、宮城野親方と共に、伊勢ヶ濱部屋付きの親方として若手の指導に当たる間垣親方は「現役時代は三役昇進とか、技能賞といった夢があったけれど、叶わなかった。そうした経験を生かして、これからは力士に寄り添った指導をしていきたいと思います」と、晴れ晴れとした表情。 今回の不祥事が、時を経て、それぞれの人生においてプラスに働いてくれることを祈るばかりだ。
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