「1000分の1も怒らなくなりました」名門野球部の“熱血コーチ”だった男が女子野球部の監督に?…37歳指導者が驚いた「男女のギャップ」
20年前の聖光学院の「熱血キャプテン」
今からちょうど20年前。松崎は聖光学院でキャプテンを務めていた。 当時から責任感の塊のような男だった。 「俺たちの代で何としてでも甲子園に出なければ」という想いがプレッシャーとストレスになり、毎日のように人知れず嘔吐していた。熱量が高すぎるあまり周りの選手との温度差が生じ、距離が離れてしまう時期もあったが、主力、控え問わず一人ひとりと対話を重ねることで「チームの想いとは、様々な感情を束ねることなんだ」と気づいた。そして2004年の夏、松崎が統率する聖光学院は、甲子園初勝利を含む2勝を挙げたのである。 高校時代の松崎の歩みを知る男子野球部監督の斎藤智也は、教え子を「聖光学院OBの代名詞」と最大限の評価を与えている。 「いい生き様を見せてくれたOBはたくさんいんだけど、あの時代の聖光学院っていうのはまだ産声を上げたばかりみたいな状態だった。そのなかで松崎は、間違いなくのちの聖光学院の礎となる男だったわけで。そういう意味で特別ではあるよね」 聖光学院の女子野球部が誕生するにあたって、松崎に白羽の矢を立てたのが斎藤だった。 盛岡大附の部長だった松崎に母校への凱旋を促した理由について、斎藤はこう語る。 「松崎は真っすぐで優しくて、包容力がある。あと思慮深さもあるしね。高校時代から俺の松崎に対する評価は一切変わってなかったから。まだ盛附さんで部長をやっていたけど、うちも女子野球部ができることが決まって、監督探しが急務だったんで声をかけたんだけどね。そうしたら、本人も『考えさせてください』と」 ピーンと来た。 松崎がオファーを受けた決め手は、これだ。 「なんか、『女子野球』って斎藤監督から言われた瞬間、直感的にスーッと自分に入ってきたんですよね。何もないところから築き上げるのが好きなタイプで、『ゼロからのスタートも面白いな』と思いましたし。野球の神様から『新たな指導を確立しなさい』と言われているような気がしたというか」 松崎が恩師に「考えさせてください」と答えたのは、家族の承諾を得るのと、指導者としての自分を育ててくれた、盛岡大附の関口清治監督へ筋を通すためだった。いずれも新天地への第一歩を後押ししてくれたことで、松崎は満を持して監督就任を受けたのである。
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