なぜ山梨学院は11年ぶりの高校サッカー頂点に輝いたのか…センターバック封じの秘策
いつもの戦い方を封じられた青森山田が混乱をきたしていた前半12分に、カウンターからMF広澤灯喜(3年)が鮮やかなミドルシュートを突き刺して先制する。くしくも11年前の決勝も、前半11分にMF碓井鉄平(現カターレ富山)があげた先制点を守り抜いて山梨学院が制していた。 しかし、第95回大会と第97回大会を制し、前回大会でも準優勝するなど、全国屈指の常勝軍団に成長していた青森山田は、歴史は繰り返させないと修正を施してくる。マイボールになるとアンカーの宇野禅斗(2年)が最終ラインに下がり、藤原を助ける作戦をハーフタイムで講じてきた。 後半12分にはお家芸のロングスローが起点となったゴール前の混戦から、攻め上がっていた藤原がこぼれ球を押し込む。同点としたわずか6分後には今度はパスワークで右サイドを崩し、最後は安斎が大会単独得点王を確定させる5ゴール目を流し込んで逆転に成功した。 それでも“藤原封じ”と自陣ゴール前での粘り強い守備で主導権を握った前半で、自信も膨らませていた山梨学院も絶対に下を向かない。後半33分。縦への素早いリスタートからペナルティーエリア内へ攻め込み、無得点が続いていたFW野田武瑠(3年)がこぼれ球を流し込んだ。 青森山田が最終的に放ったシュートは、山梨学院の3倍以上の24本。藤原の強烈なヘディングシュートが右ポストに弾かれ、MF仙谷大弥(3年)に放たれた決定的な一撃がクロスバーの上を通過したその後の展開を見守った長谷川監督は、脳裏にこんな思いが浮かんだと明かしている。 「PK戦までいけば、ウチには熊倉という存在もある」 果たして、決勝の舞台では8大会ぶり3度目となった運命のPK戦を前にして、山梨学院が組んだ円陣から笑みがこぼれた。藤枝明誠(静岡)との3回戦、帝京長岡(新潟)との準決勝でもPK戦でヒーローになった熊倉が、キャプテンとして檄を飛ばした直後の光景だった。 「泣いても笑っても最後だし、みんな楽しんで蹴って来い。外してもいい。オレが止めるから」 笑顔はリラックスを意味する。後蹴りの山梨学院は4人全員が成功させ、冒頭で記したように青森山田の2人目、安斎のPKを熊倉が阻止。もっときわどいコースを狙わなければ、とプレッシャーが増したなかで、4人目のDF三輪椋平(2年)のPKは左ポストをかすめて外れた。 「自分のなかでは自信があったので、PK戦になったら絶対に止めてやると思っていました。今大会のPK戦は3回目だし、今日は自分の日だなと感じていました」 PK戦に臨んだ胸中をこう明かした熊倉は、中学年代はFC東京U-15深川に所属。しかしながら高校年代のU-18への昇格がかなわず、日本一のゴールキーパーになる、と捲土重来を期して山梨学院の門を叩いた。同じくU-18へ昇格できず、青森山田へ進学したのが安斎だった。