なぜ山梨学院は11年ぶりの高校サッカー頂点に輝いたのか…センターバック封じの秘策
2人の脳裏にはいまも忘れられない黒星が刻まれている。2017年12月28日。FC東京U-15深川での最後の一戦となった、高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会決勝で、7人目までもつれ込んだPK戦の末に5-6でサガン鳥栖U-15に苦杯をなめさせられた。 ゴールマウスを守った熊倉は2-1で迎えた、延長後半アディショナルタイムにミスから痛恨の間接フリーキックを献上。相手のシュートを一度は防ぐもこぼれ球を押し込まれて唇をかみしめ、エースナンバーの「10」を託されていた安斎は同点とされる直前にベンチへ退いていた。 「負けた瞬間には正直、みんなに顔を合わせられなかった。それでも『お前のおかげでここまで来られた』と声をかけてくれたから、高校に入って頑張ろうと思えたんです」 感謝の思いとともに当時を振り返る熊倉を、ねぎらった一人が安斎だった。最上級生となり、山梨学院が3年ぶりの出場を果たしたことで、初めて選手権でそろい踏みした今大会。自身のハットトリックなどで矢板中央(栃木)を破った準決勝後に、安斎はこんな言葉を残していた。 「山学を勝たせて、決勝まで導いたクマ(熊倉)から点を取りたい。クマも自分には決めさせたくないと思っているはずなので、いい対決ができればと思っています」 一進一退の攻防が続いていた延長後半7分。敵陣で右足をつらせた安斎のもとへ真っ先に駆け寄り、右足を伸ばす応急措置を施したのは熊倉だった。PKを止められた直後から涙腺を決壊させ、敗戦が決まると責任を痛感して号泣した安斎を抱きしめてねぎらったのも熊倉だった。 「同じチームで悔しい思いをしたアイツと、こうして決勝の舞台で戦えて本当に嬉しかったし、アイツだけには負けたくないという気持ちで今日は臨んだ。PK戦は最後の最後まで我慢して、どちらに蹴るのかを見ていたなかで、身体の向きでこっちかなと思ったのが当たりました」 熊倉がぎりぎりまで視線を下に落としていたのは勘に頼らず、PKのコースを見極めた上で瞬時に反応するためだった。前半の青森山田を困惑させたチームの「秘策」に加えて、3年あまりの歳月を超えても友情を育ませていた安斎との「秘話」も最後の力に変えて、手にした高校日本一だった。 卒業後は熊倉が立正大、安斎が早稲田大と、そろって関東大学サッカーリーグ1部の舞台に戦いの場を移す。これからも続いていく2人のライバル人生のマイルストーンとして刻まれた至高のファイナルは、昨夏のインターハイを中止に追いやった新型コロナウイルス禍を乗り越えた、決勝までの全47試合の軌跡を付加価値として、勝ち負けを超越したまばゆい輝きを放っていた。 (文責・藤江直人/スポーツライター)