「あんな選手を使いやがって」中日・立浪監督が3年連続最下位でも正しい野球理論を備えていたといえる2つの理由
立浪監督は「正しい野球理論を備えた監督」である
立浪監督に対する批判において、多く聞かれたのが「指導手腕を疑問視」する声だった。「選手に厳しすぎるじゃないか」「自分が掲げる高い理想を、選手に押し付けすぎていないのか」―。そんな声も聞かれたし、挙句には「実は立浪監督は怖い人なんじゃないのか」と、一方的な人格批判を繰り広げる人まで出てきた。 けれども、私はこうした声には「ノー」と否定しておきたい。それには二つの理由があるからだ。 まず「選手に厳しすぎるのじゃないか」「自分が掲げる高い理想を、選手に押し付けすぎていないのか」ということについては、「正しい野球理論を備えている」と言いたい。 打撃にしろ、守備にしろ、彼の考えには納得のいくものが多い。たとえば打撃については、体の開きを抑えるコツや、バットを強く振る方法、相手投手のウイニングショットを打つ秘訣など、彼なりの理論をきちんと備えている。 ここでは詳しい技術は省かせてもらうが、彼が高い技術を追い求めていることは、一緒に解説をして話を聞いているなかでよくわかった。そのうえで、 「バッティングは十人十色。『こうすれば必ず打てる』という絶対的な打ち方はない」 ということも、立浪本人はよく理解していた。 2023年シーズンまではよく、「立浪は監督という立場で選手に打撃技術を指導していた」という記事を目にすることがあったが、個々の選手の特性を見抜いたうえでアドバイスしていたということも、旧知の記者たちからたびたび聞いていた。 それだけに、中日ファンが言うほど、間違った理論を押し付けているようなことはなかったと、私は見ている。
選手指導を行った監督は、過去にもいたので、決して珍しいことではない
昔は監督でありながら、「教え魔」と呼ばれる人が実際にいた。ロッテ(1979~81年)、中日(1984~86年)時代に監督を務めた山内一弘さん。そして、西鉄(1962~69年)、日本ハム(1974~75年)、阪神(1980~81年)で監督を務めた中西太さんらが好例だ。 両者に共通するのは、いずれも指導者になってからは「打撃職人」と呼ばれていた点である。 それぞれ熱心に選手を指導していた姿が印象深い。山内さんは、通算2271安打を放ち、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回のタイトルを獲得。一方の中西さんは、首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回のタイトルを獲得。コーチとしての説得力は十二分にある。 山内さんは時間を忘れて打撃指導する様子から、当時のCMをもじって「かっぱえびせん」の異名をもらうほどだった。時には敵味方を離れてライバルである相手チームの選手にまで教えていたというのだから、恐れ入ったというほかない。 山内さんとは私が阪神に移籍した1976年から2年間、打撃コーチとして同じユニフォームを着ていた。打者連中には山内さんはまず、 「ボールは何カ所、とらえるポイントがあるか知っているか?」 と質問してきたという。答えに窮していると、山内さんはこう答えた。 「5カ所だよ。上、下、右、左、真ん中だ」 そんなにボールをとらえるポイントがあるなんて誰一人として考えたことがなかった。そのうえで、 「空振りをするときは、ボールの下の部分を狙いなさい」 そうすることで、スイングの軌道が水平になるというわけだ。 「とにかくバットを振らされていた思い出が強く残っていますよ」 そう証言するのは、のちに阪神の4番に座った掛布雅之だった。掛布以外にも山内さんの指導を受けた当時の阪神の選手はもちろんのこと、他のチームで山内さんの指導を仰いだ選手全員が同じような証言をしていたこともここに付け加えておく。