昭和100年へ 球界に語り継がれる「伝説の10・19」顔面蒼白の吉井理人を殴って落ち着かせ…現場にいた選手が語る壮絶舞台裏
劣勢の近鉄は八回に追いついた。しかし、第1試合は九回で打ち切り。同点では負けと同じだった。九回2死二塁から代打・梨田昌孝の中前打で勝ち越し、生還した鈴木貴久は出迎えた中西ヘッドコーチと抱き合ってグラウンドを転がった。
その裏、抑えの吉井理人は先頭打者へのボールの判定に激高し、四球を与えた。次打者は代打・山本功児。同い年の栗橋は驚いた。「あのおとなしいやつが、ものすごい形相で近鉄のベンチをにらんできたんだ」。ボールが2球続くと、仰木監督は2日前に120球を投げていた阿波野への交代を告げた。
栗橋は、顔面蒼白(そうはく)で戻ってきた吉井をロッカールームへ押し込んで殴った。「あいつは顔が白くなると壁や物にあたる。骨折でもしたら…」。ベテランならではの〝仕事〟だった。
阿波野はピンチをしのいで勝利。近鉄は優勝に望みをつないだが、第2試合では今はなきルールが立ちはだかった。(敬称略)
★過密日程
今では12球団のうち6球団がドーム球場を本拠地にしているが、昭和63(1988)年は第1号の東京ドームが開場したばかり。シーズン終盤に雨天中止のしわ寄せがくる球団が多かった。西武と優勝争いをしていた近鉄は10月7~19日の13日間に15試合(10、19日はダブルヘッダー)が組まれ、うち9試合がロッテ戦だった。6日時点で、2位西武とはゲーム差なしの首位。7、8日の直接対決で連敗したが、優勝へのマジックナンバーは近鉄に点灯したまま、「10・19」を迎えた。
■栗橋 茂(くりはし・しげる) 1951(昭和26)年8月10日生まれ、73歳。東京都出身。帝京商工高(現帝京大高)、駒大を経て74年にドラフト1位で近鉄に入団。78年に4番に定着し、強打の外野手として79、80年のリーグ2連覇に貢献した。89年に引退。通算成績は1550試合、打率.278、215本塁打、701打点。主なタイトルは最高出塁率、ベストナイン。左投げ左打ち。現在は大阪・藤井寺市でスナック「しゃむすん」を経営。