「自傷行為を止めるため」刺青を彫り続けた女性が、「舌先を2つに割った」ときに立てた誓い
「誰に対しても優しくありたい」と感じた原体験
だがこれらの母との思い出について、ゴメスさんは決してつらそうに語らない。そこには、こんな理由がある。 「母が注射器を使って患者さんに向き合っている姿が脳裏にあること、今は私も子どもを持つ身として、働き盛りで病に倒れた母の悔しさが理解できること――があるでしょうね。 でも原体験として覚えているのは、こんなことです。4歳のとき、風呂掃除が遅くなってしまったことに母が怒り、裸足で外に出されました。ちょうど秋から冬になるところで、寒かったのを覚えています。暗く落ち込みましたが、ふとみると今にも死にそうなオニヤンマが羽根を上下させていたんです。 私はそのオニヤンマに妙な親近感を覚えてしまって、『最後に一緒に飛ぼう』と言って拾い上げて手を高く上げました。その刹那、私の手の中で死んでいったんですよね。うまくいえないんですが、そのときに『誰に対しても優しくありたいな』と感じたのをすごく覚えています」
同じ“注射を打つ”でも、全く違う目的に…
ゴメスさんはたびたび“注射器を持つ母”への憧憬を口にする。その根源的な憧れが、ゴメスさんの人生を思わぬ方向へ暗転させたこともある。 「定時制高校卒業後は、職人の見習いをしていましたが、郵便局に就職しました。20歳のときに実家から独立すると、もっとも効率のいい稼ぎ方をしたいと思ってキャバクラに勤務することになったんです。店のVIPルームに、ある有名人が訪れた日のことです。車座になって話しているとき、タバコのようなものが回ってきました。とりあえずいただいたのですが、あとから、マリファナだったと知ったんです。親指と人差指でつまんで吸うという作法を知ったのもそのときです。 21歳のときには、当時の交際相手の影響で、覚醒剤にも手を出しました。注射器を使うのが好きで、自己使用はもちろん、自分では打つ勇気が出ない人たちにも注射をしていました。そのうち、噂が回り回って、常用者から『上手に打ってくれる人がいると聞いたから』と依頼が来るまでになってしまいました。同じ“注射を打つ”でも、全く違う目的になってしまいました。幼いころに憧れた姿からどんどんかけ離れていくことに対して、常に罪悪感と自己嫌悪がありましたね。覚醒剤は23歳できっぱりと絶ちました」