川村元気「10億円横領して馬に使ってしまった女性の事件を知ったとき、現代におけるコミュニケーションとお金の物語が立ち上がった」
◆小説で、その時代の幸福論を書きたい 登場人物の一部に、動物の名前を忍ばせました。主人公の会社の後輩・宇野沢美羽はウサギ、船の修理工・丑尾健二郎は牛など、動物の持っているイメージを想起させるのに、漢字で表現するのが適している。漢字でイメージを表現することができるのは、日本語の面白いところ。 装丁画は、現代美術家の井田幸昌さんにお願いしました。井田さんは初期の頃、よく馬をモチーフにしていて、その絵が印象に残っていたんです。井田さんは今作のために馬の油絵を三つ描いて見せてくれて、最後に出てきたのが、顔が見えない馬の絵。実際に付き合っていくと馬は個性豊かで、一頭ずつ顔も性格も違う。そこが抽象化されているのがいいと思って表紙に選びました。 今は本を買うことが貴重な体験になっていますよね。内容が面白いことは当然ですが、マテリアルとしての価値を高めるために、装丁にもすごくこだわっています。昔はもう少しのんきだったんですが、刻一刻と本を取り巻く状況が厳しくなっていくので。 帯のオレンジ色は、馬具屋から始まったエルメスを意識しました。ほかにもフェラーリ、ポルシェといったブランドも、人間の富や憧れの象徴に馬を取り入れている。このオレンジを見た時に、みんなが潜在的な憧れを感じてくれたら、それは紙の本の持つ魅力でもあるのかなと。
◆自分にとっての切実な問題の処方箋 僕は基本的に3年に1回しか小説を書かないのですが、いつもその時代の幸福論を書きたいと思っています。今の時代にとって、人間は何をもって幸せだと感じているのか? それが恋愛の時もあれば、お金の時もあって、今回は「誰とつながっているか」というコミュニケーションがテーマとなりました。 さらにその時代ごとの“自分にとっての切実な問題”を解決するために書いている。『世界から猫が消えたなら』は、僕のおじさんが45歳と若くして亡くなり、人はこんなに早く死んでしまうのだと実感していた時の作品。自分が死んでしまった後に、どんな世界が残るのだろうか、と。その不安を解決するために書いていたところがありました。『億男』は、まわりでお金を持った人たちが、まるで幸せそうに見えなかったことがきっかけです。貧乏はつらいが、お金を持っていても幸せになれない。では、幸福の最適解とは何だろうと、知りたくて。 『四月になれば彼女は』は、まわりで誰も恋愛しない、誰も結婚に希望を持っていない状態だったので、「どうしてそうなったのかな?」と、その理由を探したくて書きました。基本的に、小説を書くという行為は、僕にとっては切実な問題を解決するための手段。だから、まず取材を大量にします。今作でも、馬に100頭以上会いましたし、馬に乗っている人たちにも50人以上にインタビューしました。すごい量の取材をすると、悩みの出口のようなものが見えてくる。そして理解したものを、今度は物語化していくことで、自分の中の解像度が上がる。 このプロセスをやるのに3年かかる。そして書き終えた頃には、当時の自分が抱えていた不安や、フラストレーションの正体がちょっとわかるようになっていて。まるで処方箋をもらったような気持ちになります。でも終わると、すぐに次の不安や恐怖が現れるので、今度はその山に登る、ということを繰り返している。生きていると嫌なことが絶えず現れるんですが、それを自分なりに理解して向き合うために、小説を書いてるのかもしれません。この世界のどこかに、自分と同じようなことに悩んでいる人がいると信じて書き続けています。 僕にとっては、物語を書くことが、誰かとつながっていることを確認する行為なんです。例えば、小説を読んだ人から「面白かった」「のめりこんだ」「心が動いた」と言ってもらうと、自分だけの悩みではなかったんだと思えるんです。それが書き手と読者とのコミュニケーションだと考えています。 (構成=かわむらあみり、撮影=本社 奥西義和)
川村元気