あらゆる知識に精通した「天才」が教えてくれた、頭を良くするための新書の読み方と「究極のインプット・アウトプット」の方法
精読は新書から教わった
その教授に猛烈に憧れた私は、ある日の授業終わりに、どうやって勉強すればいいかを思い切って尋ねに行った。(なんなら、どうやったら頭が良くなりますか、というのび太も真っ青に頭の悪い質問をした気がする。) するとぶっきらぼうに、「新書を読みなさい、それを数百字に要約しなさい、そして繰り返しなさい。そうすれば身に着く。以上」と言われた。 新約聖書みたいな喋り方をなさるなあなどと考えながらあたふたとメモをしていると、もう先生はいなかった。 以来、特に気に入った新書を要約するようになった。(前回述べた精読した一割の中の更に一部) 今でも実家にはそのときに作った要約ノートが眠っている。さきほどの三冊もこのノートを参考に記憶を呼び覚ましたわけだ。せっかくだから今度は、ほぼそのままにいくつか引いてみよう(同じく講談社現代新書から)。 ・野島博之『謎とき日本近現代史』 日本はなぜ植民地にならなかったのか、行動経済成長はなぜ持続したのかなど、近代史の疑問を設定して、わかりやすく解説する。特に「天皇はなぜ戦犯にならなかったか」という問いについて、明治憲法における天皇は存在感がありながらも、実権を行使しないという曖昧な存在だったが、ポツダム宣言の受諾など終戦に際して重要な存在感を発揮していたこと、そしてアメリカが日本統治に際して天皇を利用したほうが得だと考えたことから、天皇は戦犯にならなかったと結論している。戦後の処理、明治憲法の矛盾など近代史の重要テーマが網羅されながら、歴史のなぜ? に答えてくれる。 ・池上俊一『動物裁判』 ヨーロッパの中世では、動物が被告となる「動物裁判」がしばしば行われていたという。例えば、ブタ、バッタ、イヌ、果ては氷まで! (もう動物でもなんでもない) いったいなぜかを解き明かす。 そのカギは、中世という時代にあった。ずばり宗教の移行期間なのだ。徐々にキリスト教が根付きつつあったが、まだ民間ではキリスト教以前の宗教もゆるやかに混在していた。そうした宗教の多くは、アニミズム的世界観を持っており、動植物に神が宿ると考えていた。 だが、キリスト教もある程度浸透していたため、キリスト教の価値観にのっとり、訴えたいことがあれば教会(裁判所の役割も兼ねていた)に訴えるのだ。 動物裁判という面白い事例を通して、過去の人間の価値観を尋ねることができるだろう。 以上のように、新書を読んでは要約しまくった。今思うと、その経験がゲームのシナリオライターにも、現在の作家という仕事にも繋がっているように思う。 というのも知的な訓練のために、新書の要約は「内容のレベル」「内容の本格さ」「分量」がちょうど良かったのだ(その先生に意図は聞けずじまいだが、おそらく同じような趣旨で勧めてくださったのではないかと愚行する)。 要約とは、取捨選択をすることである。 その本のどこが重要で、どういう因果関係によって組み立てられているのかをあぶり出し、自分なりに再構成する。 つまり、要約を作るとは、正しく読むこと、自分の中で理解すること、自分の言葉で表現することという3つのステップを必要としている。 専門書でそれをやるには骨が折れる。さりとて、あまりに易しい本ではトレーニングにならない。 新書なら大学生に相応しい知的レベルだ。しかも様々な知識も身に付く。良い事づくめではないか。 物語を創るのも、物語を読んで書評を書くのも、基本的には同じような頭の働かせ方をする。 今回そのことに詳しく立ち入る暇はないが、新書の要約があればこそ、その後のキャリアを築けたのはほぼ間違いない。 改めてはっきり言っておく、新書様様である。