パレスティナ問題に考える歴史的ルサンチマン(下) 近代日本政治の振り子
日本とイスラエルの共通性
戦後日本社会は、戦時中の「鬼畜米英」から、マッカーサーを英雄視するほどの親米へと振れるが、社会主義思想が広がってからは「親ソ=親社会主義」 の立場によって 「反米=反資本主義」へと振れ返す。政治的ルサンチマンの振幅は激しい。 戦後は左派が反米となったことから、右派が親米となりかつ戦前の東洋主義とは逆に反共反中国となっている。そしてその延長として、中東戦争に対する日本人の反応は、左派が親パレスティナ、右派が親イスラエルとなる傾向だ。 総じて、近代日本のルサンチマンは、西洋文明に対するものと、資本主義に対するものとが錯綜し、そこに右派と左派も錯綜している。 イスラエルも日本も、人類の歴史的な都市化のメインストリーム(古代ギリシャ・ローマから近代西欧・北米へ)に対する歴史的ルサンチマンを抱えながら、近現代における都市化の先端に立ち、その矛盾の中で激しく闘ってきたという共通点を感じる。またそのことによって周囲にルサンチマンを引き起こす存在であることも共通する。 ユーラシアの東の果ての島国は、黒船以後、人類の都市化に対する歴史的ルサンチマンを凝縮的に体験してきたのではないか。僕には、人類のルサンチマンが、時間的にも空間的にも連続しているように感じられる。
地球沸騰と排他主義の中でパーティー券とは
現在、世界は自国主義へと、特に難民流入に対して他民族を排斥し、新参者を排斥する方向に動いている。近現代文明におけるグローバリズムという猛烈な都市化のルサンチマンが「他民族排斥=血の論理」「新参者排斥=地の論理」に向かっているのだ。日本はこの困難な状況にどう対処していくのか。 さらに地球沸騰化による異常気象という、大きな意味での都市化の破局が目に見える時代だ。こういう状況においては、民主主義であろうと権威主義であろうと、各国がその社会に矛盾を残したまま、地球全体の問題を考えざるをえない。 いわば都市化(文明)の推力よりも反力(ルサンチマン)の方が大きくなっている時代なのだ。 こうした状況の中で、岸田首相は自民党の改革に「火の玉になって取り組む」と一大決意を表明した。情けない。今、本当に「火の玉」になってもらいたいのは、地球沸騰化による異常気象にどう取り組むのか、世界的な排他主義潮流の中でどう舵を切るのか、立ちおくれたデジタル改革と行政改革をどう進めるのか、といった問題に対してではないか。