パレスティナ問題に考える歴史的ルサンチマン(下) 近代日本政治の振り子
黒船と天皇
幕末、この「ユーラシアの帯」(これまでにたびたび説明している)の東の果ての列島にはるか彼方からやってきた「黒船」というものが、風やオールの力ではなく蒸気の力で動いたという衝撃から、燃焼動力による近代工業への文明開化が始まった、と少し前に書いた。今回はその衝撃の政治的側面に着目したい。 「黒い船」という呼び名も、その背後にある不気味な(帝国主義的な)力を察知したからではないか。鋭敏な日本人には、世界が巨大で苛烈な都市化に向かって動いていることが感じられた。列島には、この不気味な力に対するルサンチマンがヒステリーのように膨れ上がる。尊王攘夷だ。 外国人を打ち払うという意味の「攘夷」はどこの国にも現れる排他的ナショナリズムであるが、なぜ「尊王」なのか。 黒船の出発地である欧米列強が「帝国」として機能していたからである。イギリスはビクトリア女王を頂点として七つの海を支配する。フランスはナポレオン3世による第2帝政となり、ドイツはプロイセンを中心に皇帝をいただく統一に向かう。ロシアはロマノフ王朝の帝政で、新興アメリカは大きな権限をもつ大統領がすべての州を統べる。こういった強力な集権の象徴をもつ国々が世界各地に植民地を広げようとしていたのだ。近代とは、文明の先進国(いわゆる列強)が他の国に対して古代ローマのようにふるまおうとした時代ともいえる。 幕府の政策は弱腰外交として炎上し、各藩は勝手に動いて、長州や薩摩は列強に戦いを挑みもしたが歯が立たない。幸い日本には天皇という制度があった。「ここは天皇中心の集権体制以外にないのではないか」と、国家の危機を察知した人々は考えた。 たまたま水戸の徳川家に、天皇を軸とする紀伝体の史書『大日本史』(水戸黄門の名で知られる徳川光圀が開始)を編纂するための「水戸学」の伝統があった。中でも、烈公と呼ばれた徳川斉昭を補佐した水戸学者の藤田東湖は、幕末動乱の中で、西郷隆盛や橋本左内など多くの志士に影響を与えた。列島に「尊王攘夷」という思想が燎原の火の如く燃え広がっていく。 欧米で加熱した近代的都市化のエネルギーに突然直面した危機感から生まれたこの国のルサンチマンは、天皇をヨリシロ(依代)としたのである。