大人が怒鳴って子供を指導する時代のなか、生ぬるいと言われても子供の自主性を重んじたFCアミーゴの"特別賞"
|全員を出場させる方針で、全国大会特別賞
―練習内容やメニューなどに特色はありますか? 金坂 子供が一生懸命にサッカーに取り組めば、必要な技術は自然と身についていくものだと実感しています。大事なのは、サッカーを好きになって、一生懸命に取り組み続けることです。大人が用意したトレーニングを押しつけても、頑張らなければいけないと子供が追い込まれた気持ちになったら、思うように伸びていきません。「あんなにうまかったのにやめちゃったの?」という話は珍しくありません。逆に、小学生の頃はリフティングが下手だった子でも、サッカーが好きで毎日練習していれば、中学生になる頃には技術をしっかり身につけているものです。 ジュニア時代は、技術だけを伸ばそうとするのではなく、子供たち同士で支え合うこと、みんなで頑張って盛り上がること、困ったときに助け合って解決することなどを経験して覚えてもらうほうが大切だと考えています。 プレーに関しては、「得点する、失点しない」ということにシンプルにこだわれば、子供たちは見て真似をして、技術をどんどん身につけていきます。私たちは、もともとはしっかり細かく教えるスタイルでした。拝藤先生は、自身が競技経験がない中で、ものすごく勉強熱心で、勉強したことを子供たちに教え、ほかの指導者たちにも伝えることで、鳥取県のサッカー界を引っ張ってきた人です。昔ながらのちょっと厳しい雰囲気をまとって、しっかり教えてくれる拝藤先生と、子供と近い距離にいて楽しませることを大事にした上で、教えるというよりもやらせてあげる私のような指導が一緒に行なわれるのが、ちょうど良いのかもしれません。 拝藤先生は、19年から22年まで、メキシコの日本人学校に行っていたのですが、現地ではみんなで楽しむことをもっと大事にしていたそうです。PK戦になったら、見ている保護者がペナルティーエリアのすぐ外まできて、子供たちと一緒に盛り上がってワイワイやっていたのを見て、「あれぐらい楽しんでやったほうがいいんじゃないか」と言われるようになりました。 ―自発性を重視する方針で、全国大会にも複数回出場しています。 金坂 どんな舞台でも全員を出場させる方針でやっていますが、それでも、全国大会で強豪チームと互角に戦ったことがあります。14年の全日本少年サッカー大会(現・全日本U-12サッカー選手権大会)で、優勝候補筆頭だった横河武蔵野FC U-12(東京都)と引き分けた試合が印象的でした。横河武蔵野には、のちにジュビロ磐田に加入内定する角昂志郎選手(筑波大学)がいて、その年の秋にはダノンネーションズカップで世界一になっていました。 対戦する前夜のミーティングで「チームの武器は何か?」と問いかけ、「ブレ球を蹴る子のフリーキックだね」「きっと雨だから、こぼれ球を詰めよう」「それしかないね」と話していました。でも、試合が始まったら7分で失点(笑)。これはマズいと思ったのですが、逆に子供たちの気持ちが吹っ切れて、ものすごく強気なプレーが見られるようになりました。すぐに同点に追いついて、作戦通りにフリーキックのこぼれ球を押し込んで逆転しました。最後の最後、終了間際に同点にされてしまいましたが、表彰式で特別賞をいただきました。 ―私もその試合を取材に行っていましたが、大健闘でした。 金坂 ジュニア年代はやるぞ、できるぞと思ったときのパワーが半端ではありません。翌年の15年は「弱い年代」と言われていたのですが、前年の結果で自信を得たのか、全日本少年サッカー大会でもフットサルのバーモントカップでも県大会で優勝できました。 バーモントカップのときは、私は喉にできたポリープの手術のため、最終日の準決勝と決勝に立ち会えませんでした。そこで、練習は筆談で指示を出し、試合前には一人ひとりに手紙を送りました。そうしたら、試合を終えた子供たちが優勝カップを持って病院に来てくれました。「この代は県大会優勝なんて無理」と言われていた子たちのたくましい姿を見て、こいつら、やるな、格好いいなと思ったことは忘れません。 その年の全日本少年サッカー大会では、フェアプレー賞をいただきました。横浜F・マリノスプライマリーには0-11で大敗しましたが、できるプレーを一つでも成功させようと声をかけ続けて、試合の中で少しずつ良くなっていきました。それを見た大会関係者の方から、「最後、ボールを奪えるようになりましたね」と声をかけていただきました。ゴールを何点も決められている中でも選手が諦めずにチャレンジし、何かをつかみとろうとする姿勢を、認めてもらえてうれしかったです。