伊那谷楽園紀行(17)轟天号ふたたび、みたび……伊那谷を愛する人々
田切駅前の広場にあたる駐車場を持つ、聖徳寺に親しみが湧くようになったのも、ほんの偶然だ。最初の開催の時から、牧田は聖徳寺に出向き挨拶をしていた。2年目の開催の後、挨拶に出向いたところ、たまたま帰省していた住職の娘の瀧本可恵子と偶然出会った。 「そんな面白いイベントがあるのですか!」 翌年から、瀧本は「轟天号を追いかけて」のためだけに埼玉県から帰省してコスプレして、参加者を見送るようになった。そのコスプレのレベルも次第に上がって、原作に登場する「暴力バスガイド」の衣装を、わざわざつくってやってくるようになった。それだけではなく、実家に確認して、土手の上にある田切駅のホームを、開催日に参加者が綺麗に撮影できるようにJRに草刈りをお願いしてくれたり、縁の下の力持ちの役割を惜しまなかった。こうした繋がりが、参加者をどんどん伊那谷の虜にしていった。 その間に、田切駅の周囲でも変化があった。一つは、店もなくなっていた田切に、静岡から移住して来た夫婦が営む「ひねもす」という名前の蕎麦屋ができたこと。もう一つは「道の駅・田切の里」のオープンである。「轟天号を追いかけて」の時は、どちらか、あるいは両方に立ち寄って、地元の特産品である蕎麦であるとか、ソースカツ丼を楽しむことが定番になった。この2つの店も「今日は、伊那に行こう」と思った時には必ず寄ってみたくなる場所になっている。 さらに、参加者の多くが「轟天号を追いかけて」の翌日は泊まる理由もできた。「轟天号を追いかけて」は、7月最後の土曜日開催に決まっているが、翌日曜日は伊那市の朝マルシェの開催日で固定されるようになった。 各地で開催されるようになっているマルシェだが、伊那市では地域の産物を生かしたメニューが並んでいる。そこで、参加者たちは、帰宅する時間まで名残惜しげに伊那谷を楽しむのだ。 こうして、最初は一度限りだったはずの「轟天号を追いかけて」は、伊那谷に離れがたい気持ちを持つ人を増やしている。ついには、離れがたさゆえに移住までした人も出た。ぼくもまた、ふと伊那谷に住むという選択を考える時がある。まだ、その決意は固まらないけれども、ひとまずは、もっと長く滞在をしてみるのもいいのではないかと思うこともある。「轟天号を追いかけて」の翌週、8月第一週の土日は「伊那まつり」の日。 「このまま、一週間泊まっていけばいいんじゃないかな」 何度も、そんなことを囁かれるけど、まだ機会を得ることはできないでいる。 でも、残念なことに、そんな会社は実在しない。それでも、少しでも作品世界に近づこうというのか。ゴールに設置された長机には、机に載るサイズの駅前に西園寺ツーリスト伊那支店の出店が。誰も、突入することなく声援や拍手に迎えられながら、続々と到着。この日のために用意された特製の西園寺ツーリストのスタンプを獲得した。 全員がゴールした後、閉会式で行われたのは、参加者全員による万歳三唱だった。なにかと、万歳三唱をするのが信州の文化だというのは、この時初めて知った。 「伊那市駅開業100周年万歳!」 「Cycle倶楽部R20周年万歳!」 「究極超人あ~る万歳!」 こうして、『究極超人あ~る』のファンが、伊那市駅開業100周年を祝う、1日だけの楽しいイベントは幕を閉じた。 (ルポライター・昼間たかし)