伊那谷楽園紀行(17)轟天号ふたたび、みたび……伊那谷を愛する人々
毎年、万難を排して駆けつける人もいれば「今年は、ようやくやって来ることができました」と、感動する人もいた。やってくる人の年齢も様々だった。『究極超人あ~る』を連載当時に読んでいたという人はもちろん、連載どころかアニメの頃には、生まれてもいなかったような世代の若者も参加するようになった。中には、親の本棚にあった単行本をみて作品を知り、アニメを観て、親子で参加することを決めたという家族もいた。 もっとも大きな変化は、年に1回の「轟天号を追いかけて」だけでは我慢できずに、たびたび伊那谷へやってくるようになった人が出てきたことだった。 ぼくも、その1人なのだが「そうだ、今日はちょっと伊那にいってみよう」と、車やバス、電車に乗るのだ。今日は、どこそこの店にいって、あれを食べよう。どれにするか迷うくらい伊那谷には魅力的な店も多いことが、何度も足を運ばせる理由となっていた。 それに、伊那谷に住んでいる人たちは、そうしてやってくる人がいると聞くと、都合を付けて出迎えてくれるのだ。時には、駅前で待ち構えていて万歳三唱をして出迎えることもあった。 それぞれバラバラに出かけるだけでは我慢できず毎年の「轟天号を追いかけて」の時には、前夜祭と後夜祭の2回も宴会が開かれるようになった。さらに「轟年会」と称して、年末は忘年会。そうした集まりを通じて、また伊那谷に新しい店が出来ただとか、今度はこんな楽しいイベントがあるなど、また出かけるきっかけを得るのだった。 そもそものきっかけである「轟天号を追いかけて」の集合場所である田切駅前も、次第に賑やかになった。2年目に挨拶にやってきた飯島町の前町長・高坂宗昭は地元のお祭りと日が重なったということで、お代官姿で、わざわざ駕籠に乗って会場を沸かせた。2015年に任期満了で引退した、高坂に代わって町長になった下平洋一は、ちゃんと、学生服姿のコスプレでやってきて、また会場を沸かせた。 楽しむ参加者たちのそんな姿は、地域の人々にも広がっていった。自分たちの地域の駅である田切駅を愛して、全国からやってきてくれる。それに感謝の気持ちを述べようと、地元の人々が取れたての西瓜やトマトを冷やして待っていてくれるようになった。