5か月の屈辱…挫折を味わった欧州挑戦 実体験で厳しさを知ったから分かる“欧州組の凄さ”【インタビュー】
15年前に挑んだ欧州クラブには「受け入れてもらえなかった」
いまや200人を超える日本人選手がヨーロッパ各国でプレーしている。その欧州に今から15年前、果敢に挑んだのが、元ジュビロ磐田、ベカルタ仙台の太田吉彰氏だ。2009年7月に海外でのプレーを夢見て単身、海を渡ったものの、欧州に滞在していた5か月間で入団テストを受けられたのは3クラブだけ。ヨーロッパでサッカーをすること、契約を掴む難しさを実際に味わった身として感じる現代の日本サッカー界の進化を語った。(取材・文=福谷佑介) 【写真】欧州で日本代表の凄さを実感…面影変わらぬ太田吉彰氏の現在の姿 ◇ ◇ ◇ 2009年7月にヨーロッパに渡った太田氏は帰国する12月までの約5か月間に3つのクラブでテストを受けた。当時フランス2部のル・マンFC、同ドイツ3部のVfLオスナブリュック、ベルギー1部のKVメヘレンで練習に加わったものの、結果、合格は勝ち取れなかった。当時は欧州クラブでプレーする日本人が珍しかった時代。「全く受け入れてもらえませんでした」。まだ日本人選手に対しての“目”は厳しかった。 そんな太田氏は200人以上の日本人が、大小問わず様々なヨーロッパのクラブでプレーしている現状に「羨ましいのは羨ましいですね。自分もやりたかったな、というのは、今思うとあります」という。その一方でヨーロッパで選手として認められる難しさを感じた身だからこそ「正直、今、ヨーロッパで活躍している選手たちは本当にすごいと思います」と、畏敬の念すら覚えている。 太田氏は2007年4月にトレーニングキャンプを行う日本代表候補に選ばれると、同年に行われたアジア杯で正式に日本代表メンバーに選ばれた。「試合は出ていないですけど、代表としてアジア杯にも帯同させてもらって、スピードも日本の中ではある選手だと思っていた」。その後、前十字靭帯断裂という大怪我によるブランクこそあったものの、スピードへの自信を持ったまま海を渡った。だが、5か月間いたヨーロッパでは自分の武器が「全く通用しなかった」という。 「ただサッカーが上手いだけじゃ海外では成功できない」と太田氏は断言する。当時の自身に足りなかった海外で成功する素養として「コミュニケーション能力、人間性、あとは自己主張、負けん気。フランスの選手なんて練習の1回でもめちゃくちゃ喜んだり、キレたりする。その1回に賭けているんです。日本にいた時、練習中って甘かったなって感じました」と挙げる。徹底した準備や言語はもちろん、練習中から常に全力で臨み、味方であろうと主張し合い、ぶつかり合う姿勢……。当時の自分との“執念”の差をまざまざと感じさせられた。