NYタイムズ「2025年に行くべき52の旅行先」に富山が選出された理由は?
◆文化的な成熟が生んだ「風の盆」
富山市は、100万石で知られる加賀前田家の分家の1つ、富山藩10万石の城下町として栄えた歴史を持つ。 ニューヨーク・タイムズは富山城を「histrical castle(歴史的な城)」と表現しているが、現在見ることができる天守閣は1954(昭和29)年に開催された富山産業大博覧会の際に、街のシンボルとして建設されたもので、市の郷土博物館として活用されている。 富山という地域の文化的な気風を象徴するのが、ニューヨーク・タイムズでも紹介されている「越中八尾 おわら風の盆」である。おわら風の盆は、富山市の八尾町(2005年に富山市に合併されるまで婦負郡八尾町)で毎年9月1日から3日に行われている祭りである。 祭りの日の八尾では、日暮れ後、哀愁を帯びた太鼓と三味線、胡弓(こきゅう)の音曲と越中おわら節の唄に合わせ、編笠を目深にかぶったそろいの法被(はっぴ)姿の男性と浴衣に身を包んだ女性の集団が、優美な振り付けで、町の通りを踊り流していく。 まだ見たことのない方には、「高度に洗練された盆踊り」といえば分かりやすいだろうか。 この「芸術民謡」とも称される八尾のおわらが誕生した背景について、おわら風の盆行事運営委員会演技部会長の橘賢美さんは、次のように話す。 「八尾は元々、和紙と養蚕で栄え、富山藩の御納戸所(おなんどどころ=財政蔵)とされた。だが、町方があまりに財力を蓄えすぎると、藩にとって都合が悪い。八尾には5月3日に行われる、京都の祇園祭にも似た越中八尾曳山祭もあるが、こうした豪華な祭りは、各町にお金を使わせるための藩の政策だったのではないか」 このように富山藩の財政を支えるほどに繁栄した八尾には、「上方や江戸の清元、常磐津(ときわづ)、都々逸(どどいつ)、浄瑠璃、謡曲など芸事をたしなむ達人が多くあり、一家に一棹三味線があった」(『おわら風の盆公式ガイドブック』)という。こうした文化的な成熟が、「芸術民謡」を生む下地になったのだ。