「ボキボキボキと聞こえた」 怪物を“ガラスの天才”にさせた大怪我…一変したサッカー人生「膝が弾けた」【インタビュー】
運命を変えた2008年の両膝の大怪我
「比嘉は上手いというより凄い。上手さだけで言えば、比嘉以上の選手はほかにもたくさんいたと思います。でも、比嘉にはみんな目が行くというか、華のある選手でした。最初に会ったのは千葉県選抜でしたけど、強くて、速くて、誰も1対1で止められない。パワーとスピードでねじ伏せるので、『こんな凄いヤツがいるんだ』と。(吉田達磨監督が率いた2004年の)ナイキプレミアカップジャパンは決勝で比嘉が決めて優勝したし、クラブユースの関東大会で優勝できたのも比嘉がいたのは大きい。小学6年生の時にスペイン遠征があったんですが、比嘉はスペインの選手たちをチンチンにしたんです。その時から僕は比嘉のイチファンでした。僕らの世代を先頭で引っ張ってくれたのは間違いなく比嘉ですね」 2007年12月、比嘉は酒井とともに2種契約(アマチュア)でのトップチーム登録が内定。しかし、翌08年1月、U-19日本代表の一員として出場したカタールU-19国際親善トーナメントの準決勝・中国戦でその後のサッカー人生を左右する出来事が起こる。 延長戦に突入したなかで、相手選手のラフなタックルで右膝を痛めたが、交代枠を使い切っていたため、プレーを続行。すると、試合終了間際にぬかるんだピッチに足を取られ、今度は左膝に激痛が走った。痛みに顔をゆがめ、その場にうずくまった比嘉。数日後、左膝前十字靱帯損傷、左膝半月板損傷、右膝半月板損傷により、全治7か月と診断された。 比嘉は「それまでも怪我はかなり多かったし、きっと身体のバランスも崩していたのでしょう」としつつ、「起こるべくして起こったのかなと思うし、防げる怪我でもあった気がします」と回想する。 「(2-1と)1点勝ち越したなかで、アディショナルタイムにタックルを食らって、最初に右膝を痛めた。結果的には半月板損傷だったんですけど、様子がおかしいなと思いつつも交代枠も使い切っているし、国際大会の準決勝(という大舞台)で、残り数分というところで、なんとかできなくない痛みだったので、そのままかばいながらプレーを続けていました。そしたら、本当に(試合が)終わる間際のタイミングで反対の左足がグラウンドに引っかかって、結果的に前十字(靭帯)を切る形になって。今までとは違う、例えるなら銃で撃たれたくらいの大きな衝撃で、直感的に『これはちょっとマズい』と思いました。靭帯ですけど、『ボキボキボキ』と聞こえた印象があって、膝が弾けた感じがしました」 2008年を棒に振る形となった比嘉は、同年11月に翌年度から柏のトップチームに昇格することが決まったが、この大怪我がキャリアの大きな分岐点になるとは、当時はまだ本人も想像していなかった。 (文中敬称略) [プロフィール] 比嘉厚平(ひが・こうへい)/1990年4月30日生まれ、埼玉県出身。柏U-12―柏U-15―柏U-18―柏―秋田―山形。J1通算1試合0得点、J2通算44試合4得点。酒井宏樹(オークランドFC)、指宿洋史(ウェスタン・ユナイテッド)、武富孝介(甲府)、島川俊郎(SC相模原)、工藤壮人、仙石廉らを擁した柏U-18“黄金世代”のメンバー内でも「天才」と言われたアタッカー。15~18歳の年代別代表に選ばれ、2006年のU-17アジア選手権では優勝を経験した。高3だった2008年1月、左膝の前十字靭帯損傷など大怪我を負い、翌09年にプロ入りするもコンディションが戻り切らずに16年に現役引退。17年から指導者の道を歩み始め、現在は山形アカデミー・ジュニア村山のコーチを務める。
FOOTBALL ZONE編集部・小田智史 / Tomofumi Oda