「ボキボキボキと聞こえた」 怪物を“ガラスの天才”にさせた大怪我…一変したサッカー人生「膝が弾けた」【インタビュー】
同期の島川が証言「天才ではなく、正しくは『怪物』」
柏U-12時代からの同期には指宿、工藤壮人、仙石廉、U-15からは酒井宏樹(現オークランドFC)、武富孝介(現ヴァンフォーレ甲府)、島川俊郎(SC相模原)、山崎正登、畑田真輝らも加わり、のちに柏アカデミーの中でも“黄金世代”と言われる年代。比嘉も周囲に大きな刺激を受けた。 「僕は結構早熟で、小学生の時は大きいほうでした。でも、レイソルに入ってかなり鍛えられましたね。今と違って、遠征に行っても食事面で厳しく、食べさせられた(笑)。昔は喘息持ちの病気がちで身体もすごく細かったけど、食べないとなかなか試合に出られない環境なので、『試合に出たい』という気持ちから家でも食べるようになって。それから身体も強くなって、一気に身長(のちの公称は166センチ)も伸びたので、レイソルの環境のおかげですね」 比嘉のプレースタイルは、いわゆる「ドリブラー」。スピードを武器に、勝負を仕掛けるタイプだった。 「1対1で勝負して、ゴールしたり、アシストするのが得意なプレーヤーでした。昔からスピードがあったのでずっとFWをやっていて、中学2、3年生でサイドアタッカーになりました。そこから、ゴールというよりも突破してクロスとか、カットインしてパスみたいに、プレーの幅が広がっていきました」 U-14、U-15、U-16、U-17、U-18、U-19と年代別の日本代表に選ばれ、2006年にはU-17アジア選手権にも出場した比嘉。「少しトゲがあるように聞こえてしまうかもしれないですけど」と前置きしたうえで、「正直、年代別の代表でプレーすることよりも、自チームでプレーすることのほうが難しかった」と振り返る。 「それくらい、レイソルの同期のレベルが高かったんです。代表に行って、帰ってきた時に『自分のパフォーマンスが悪くなっていたらどうしよう』『それ以上にレイソルの仲間たちのレベルが上がっていたらどうしよう』『自分が上手くプレーできなかったらどうしよう』と。不安でいっぱいのまま代表に行っていました(苦笑)。結果で言うと、なかなかタイトルは獲れなかったけど、どんな相手でもほとんどのゲームを支配することができた。内容的にはほかのチームと一線を画していたと思います」 アカデミー時代の比嘉は、「天才」と称されることが多い。しかし、苦楽をともにした島川は、「正直、天才ではなく、正しくは『怪物』だと思います」と語る。