日本の「終戦記念日」はおかしいのか!? 海外の常識では「8/15」ではなく「9/2」「9/3」である“納得の理由”とは
日本では、終戦記念日といえば「8月15日」で、玉音放送の日として馴染みが深い。しかし、世界を見ると、第二次世界大戦の終戦記念日は9月2日か3日が主流であり、5月に設定している国もある。どういうことなのだろうか? ■8月15日の告知は、あくまで国内・植民地・占領地に向けたもの 8月15日は終戦記念日。昭和20(1945)の同日、当時の天皇(昭和天皇)が全国民に向け、ラジオを通じて玉音放送を行なって以来、日本ではそれが常識とされてきた。 玉音とは天皇の肉声である。録音済みのものとはいえ、天皇の肉声が国民の耳に届いたのはこれが最初で、その内容は交戦相手である連合国から提示されたポツダム宣言の受諾を全国民に告知するもの。同宣言には「全日本軍隊の無条件降伏」も含まれていたから、当時の日本政府が言う「大東亜戦争」における敗北宣言にほかならなかった。 ただし、これはあくまで国内と海外の植民地、占領地及び戦闘地域の日本人に宛てたもので、国際的な効力に乏しかった。 ■世界的な主流は「9月2日」か「9月3日」 戦争は双方の合意があって初めて終結するもので、事実、日清戦争と日露戦争はどちらも講和条約調印の日をもって終戦としている。 国際的にも講和条約調印の日を終戦とするのが常識のため、戦勝国のアメリカは自国の軍艦ミズーリ号上で降伏文書の調印式が行われた9月2日を「対日戦勝記念日」とし、同じくソ連は1日ずれた9月3日を、1949年に建国された中華人民共和国も同日を「抗日戦争勝利記念日」とした。 イギリスも連合国の主要メンバーだったが、こちらはヨーロッパ戦線に比重が偏っていたことから、ドイツが降伏した5月7日の翌日、つまり5月8日(現在は5月の第一月曜日)を「ヨーロッパ戦勝記念日」としている。対日戦勝利の日は公的に定められることなく、8月15日をそれとする見方が主流ではあるが、9月2日も重要視されてもいる。 このように、世界全体では9月2日もしくは3日を記念日する見方が大勢を占める。日本近現代史の流れのなかでも8月15日を終戦とする見方はイレギュラーなケースなわけだが、それが半世紀以上も固定化され、改定すべきとの議論さえ起こらないのはなぜなのだろうか? ■韓国では日本統治から脱した8月15日が「光復節」 終戦記念日=8月15日が受け入れられている理由としては、天皇の肉声により終戦が宣言されたことや、それを境に国民の緊張が一気に解け、実感をもって終戦を受け止められたことなどが考えられる。 緊張が一気に緩んだのは日本軍兵士もいっしょで、帝都ではすでに8月14日夜に、参謀本部の門衛たちが勝手に持ち場を離れるという信じがたい事態が生じていた。 海外の最前線ではさすがにそんなことはなかったが、前線から遠く離れた朝鮮半島では変化が起きていた。「日本が降伏した」との情報が出ていたことに加え、日本人官吏や軍人の変化を敏感に感じ取ったのだろう。光復(祖国の主権の回復)を求める機運が一気に高まった。そして南の韓国では8月15日が光復節と定められ、現在も続いている。 光復節は台湾とわずかな島嶼を治めるのみとなった中華民国でも設けられたが、こちらは日本の台湾総督府から中華民国の進駐軍に権限が委譲された10月25日がその日。休暇を伴わない記念日である。
島崎 晋