米国のゲイリブに憧れて ゲイとして生活感のある暮らしを手に入れたいま
初夏の陽光が萌ゆる若葉を照らし地面に影深く刻む時間、都内にある芸術家・大塚隆史(68)さんのア トリエを訪れた。 舞台女優として生涯独身で活躍し、憧れだった叔母の死後に譲り受けたスペースには、所狭しと創作活動 に必要な道具が並ぶ。その中に一枚、二人の男性達が仲睦まじく寄り添うカラー写真を見つけた。他界 するまでの11年を連れ添ったパートナーでありシャンソン歌手のカズさんと付き合い始めた当初、新宿御苑で撮影したものだった。 「僕が畳の目を数えるようにしてやっと辿り着く結論を、彼は本能でひゅっとつかむようなところがあってね。 ルールや常識に捕われることなく、歌うときにもまるで大空を飛んでいるように自由な人だったよ」
ずっと欲しかった、ゲイとして生活感のある暮らし
大塚さんは東京生まれの東京育ち。朝鮮半島出身、密入国をして日本人となった父はジャーナリストで、 父の再婚相手としてやってきた母とは関係は良好だったものの、血のつながりはなかった。様々な状況が 絡み合う中で、小学生になった彼はゲイであることに気がついた。幼心に言葉にできずとも、自分という存在から『少数者』という要素を排除することはできない宿命のようなものを感じ続けていた。 中学生になった大塚さんは、偶然近所の書店で『The Homosexual Explosion』というアメリカの本に出合う。そこには世界中に自分のようなゲイがいて、そしてそれは全くおかしくないということなどが記されていた。そして本の終わりには、アメリカにある同性愛親睦団体の住所がいくつも記されていた。 「僕は日本に暮らすゲイの中学生です。よければあなたの団体のブックレットを送ってくれませんか?」意を決して英語で書いた手紙をいくつかの団体に送り半年ほどしたある日、アメリカから小冊子が送られてくる。中には中学生の性欲を満たすには充分な下着姿の男性の写真とともに、ゲイとして自尊心を持って生きることの大切さや、ゲイであることは何も間違っていないことが記された様々なアーティクルが掲載されていた。 この経験が大塚さんの半生で大きかった。自分が感じていることは決して間違っているわけではない。そ して、そんな思想が芽吹いているアメリカという国にいつか向かいたいという気持ちを芽生えさせたのである。 大学進学では堅実な道へ進むことを強く望む父の反対を押し切り、アートの道に可能性を見い出し多摩美 術大学へと進学した。と当時に、在学中にもたくさんのゲイ関連書籍に目を通すことにも努めた。その頃に 家族へのカミングアウトも済ませ、卒業した彼はデザイン会社でアルバイトをしながら創作活動に打ち込み始めた。 「当時の僕はゲイリブの思想にも触れていたし、全然悪びれない感じだったね。今思うと急にそんなこと を受け入れろなんて言われた家族は気持ちの整理が大変だっただろうと思うけどね」