米国のゲイリブに憧れて ゲイとして生活感のある暮らしを手に入れたいま
1975年、大塚さんは仕事を辞め、一人アメリカに旅立った。アメリカのゲイリブに触れてみたい。芸術家 としての進むべき道を見定めたい。様々な思いを抱えた一人きりの旅だった。ニューヨークで知ったファイ バーアートに惹かれ、己の芸術活動に活路を見い出すとともに、当時グリニッチビレッジ辺りに暮らしていた ゲイやレズビアンカップル達が当たりまえのように一緒に買い物をする仲睦まじい姿にも深く惹かれた。 「彼らの姿を見ることで、自分がずっと欲しかったものは、いわゆるゲイとして生活感のある暮らしをする ということだと気がついたんだ」
約7カ月のニューヨーク滞在を経て日本に帰国した大塚さんはゲイ雑誌『薔薇族』で編集員として働き始 め、芸術家としてもアフリカ美術をモチーフとしたファイバーアートの作品制作に取り掛かり始めた。多才 な才能を発揮し、雑誌『ポパイ』で「シスターボーイの千一夜物語」という連載を抱え、それを目にした音楽番組プロデューサーから人気ラジオ番組『スネークマンショー』のDJとして起用されることとなる。 カズさんに出会ったのもちょうどその頃のことだった。シャンソン歌手をめざしていたカズさんと芸術家をめざしていた大塚さんは意気投合し、同棲生活を始めた。そして82年、二人はお互いの創作活動の資金源のために、新宿でゲイバー・タックスノットを開店した。当時の新宿二丁目では、いわゆる一夜限りの出会いの場を提供するバーなどがほとんどであったが、二人は長く真剣に交際をしたいと考えるゲイカップルのパートナーシップを応援できるような店づくりを心がけた。店内には大塚さんの提案からギャラリースペースを設け、ゲイ的な芸術表現を発信できる場所にすることにも力を入れた。タックスノットはすぐに軌道に乗り、二人の「子ども」のような存在としてすくすくと育っていった。そして「子ども」の存在を通して、二人の関係も以前に増して芳しく熟していった。