実はこってり芸術的造りの代々木駅
甲武鉄道の駅として開業
中央線の近郊区間を敷設した甲武鉄道が、千駄ヶ谷-新宿間に代々木駅を開いたのは1906(明治39)年9月23日である。前回ご紹介したように甲武鉄道が国有化される直前で、多分に買収金額の引き上げを狙った新規設備投資の側面があったのではないかと思われる。このとき、日本鉄道の山手線はかたわらを通過していたものの乗換設備はつくられておらず、これができるのは日本鉄道も国有化され電化工事が成った1909(明治42)年12月であった。 ここで甲武鉄道の略史も見ておこう。同社の最初の営業区間は新宿-立川間である。日本鉄道の品川線(山手線の前身)に遅れること4年の1889(明治22)年4月の開業。中野・境(現武蔵境)・国分寺の途中駅を設け、同年8月には八王子まで延伸した。開通当初の列車本数は一日4往復で、うち1往復が新宿から日本鉄道線へ乗り入れ、渋谷を経由して品川からさらに新橋まで運転されている。 新宿から東へ、東京の市街地めざして路線が伸びるのは1894(明治27)年10月、信濃町・四ッ谷を通り、まず牛込(市ヶ谷-飯田橋間;1928年廃止)へ、翌年4月に飯田町まで達した。飯田町駅というのはあまり馴染みがないかもしれないけれど、のちに貨物専用駅となる頭端式(とうたんしき)のターミナルだった。1999(平成11)年に廃止され、いまは跡地にビルが建つ。 終着の飯田町へ突っ込む線形から分岐して、御茶ノ水駅が開設されるのは1904(明治37)年12月だ。国が甲武鉄道を買収したのちも小刻みに線路は延長され、昌平橋・万世橋(いずれも廃止)終着時代を経て、神田駅・東京駅へは1919(大正8)年3月に到達したのである。 甲武鉄道で特筆すべきは、いちはやく電車を導入したことだろう。当初は蒸気機関車牽引列車で運行していたが、東京の市街地を横断するにあたり煙害を考慮し、かつ列車を効率的に運用しようと検討したすえ、手はじめに飯田町-中野間を電化して1904(明治37)年8月から電車と汽車の併用運転を始めたのだ。