千年を超える歴史に幕を閉じた「蘇民祭」、かつては全裸、胸毛のポスターで物議 クライマックスの争奪戦は「圧死する」と思うほど危険だった
1971年には暴力団員が参加者を殴り、逮捕される事件が発生。存続が危ぶまれたが、こうした危機を乗り越えた背景には、保存協力会青年部の尽力があった。初代部長菊地一志さん=故人=が、警察や市役所、寺に通い詰め、祭りの必要性を訴え続けた。青年部は亡くなった菊地さんを「祭りの神様」と称し、思いを受け継いで祭りを支えた。 ▽少子高齢化 祭りの準備に携われるのは、決まった10軒の檀家のみという厳格なしきたりがある。蘇民袋に入れる護符や儀式に使う木を用意するために山に出かけ、数トンの木を切り出す作業から始まる。 袋の中身は、六角形に削られた3センチほどの木片が数百個入っている。争奪戦では「親方」と呼ばれる運営側の1人が全裸になって、群衆に飛び乗り、小刀で袋を破る。これが開始の合図だ。散らばった木片を手にすると御利益があるとされる。 木片を切り分けたり、袋を作ったりする作業は、檀家の高齢化や少子化で継続が困難になっていた。その上、作業手順は親から子に口伝のみで受け継がれてきた。ある檀家(78)は「われわれ以外の人でも作業はできる。だが、しきたりを変えることは信仰の本質を見失う」と口にした。
昨年秋、黒石寺の住職藤波大吾さん(41)は檀家らを集め、こう伝えた。「やめるのも選択肢の一つです」。苦渋の決断だったが、みな静かにうなずいた。 ▽新たな形で 祭りが終わった翌日、青年部員たちは初代部長の仏壇前に集まった。「反省会」と称して酒を片手に祭りを振り返るのが恒例行事だった。しかし今年は違った。 「俺たちで終わらせて申し訳ありません」。遺影に向かって1人がぽつりとつぶやくと、みな静かにすすり泣いた。千年以上の歴史を自分たちの代でなくしてしまうことへの悔しさと申し訳なさが男たちの背中からにじみ出ていた。 最後の蘇民祭の取主は、青年部の現部長菊地敏明さん(50)だった。「最後だからね。何が何でも最後の取主になるという意地があったのよ」 今は新たな祭りの在り方を模索している。「みんなが納得できる現代の蘇民祭を作り上げたい。黒石寺が会場じゃなくても、形式が変わってもいい。続けることに意味があるから」。そう力強く訴える。
これまでの蘇民祭は終わった。だが、菊地さんの目は死んでいない。「来年はどうすっぺや」