母に電話で「もう辞めたい」千葉絵里菜(29)がそれでも東京パラリンピックの障害者リポーターを辞めなかった訳
北海道では自然に囲まれて暮らしていたので、東京の人の多さに驚きました。みんなスピードが速くて最初は怖かったです。生活に慣れた1年後、もう少し都心から離れた過ごしやすい場所に引っ越しました。
■ボッチャを通して脳性まひの車椅子仲間と出会った ── リポーターの仕事はどうでしたか? 千葉さん:リポーターによって担当競技が決まっていて、私は「ボッチャ」「ゴールボール」「パラ馬術」「パラ卓球」の4つを取材し、リポートする立場でした。なかでもボッチャはもともと、脳性まひなどで運動機能に重い障がいがある人のために考案されたパラスポーツなので、これまで、自分と同じような重度の脳性まひの方をあまり見たことがなかった私にはすごく新鮮でした。
── 選手の方も、同じような立場の千葉さんだから話してくれることもあったのではないですか? 千葉さん:選手とは仲良くなれたと思います。脳性まひの選手とは同じ障害を持つ者同士、取材する側・される側の垣根を超えてわかり合えることもありました。たとえば車椅子は自分用にカスタマイズしている方が多いのですが、車椅子のカスタマイズに着目した質問をしていたら、上司に「それいいね」と言ってもらえたのは嬉しかったです。
ボッチャの内田峻介くんは当時高校生で東京パラリンピックには惜しくも出場できなかったのですが、聖火の最終点火者を務めました。彼は3本の指でボールを持ち、投げる前に1回1回ハンカチで手を拭くんですね。そこに着目して「新生・ハンカチ王子現る!」といった見出しで記事をつくったことがあります。内田選手はその後、2022年世界選手権の男子(運動機能障害BC4)で金メダリストになり、パリパラリンピックではチームの主将も務めるので、活躍が楽しみです。
■「大変だったことはありすぎて挙げきれない」 ── 実際にリポーターをやってみて大変だったことはありますか? 千葉さん:発音には苦労しました。たとえば太ももの「もも」と果物の「もも」はイントネーションが違うのですが、脳性まひがある私の言い方だと、どうしても同じになってしまって、それは何度も練習しました。原稿は2日くらいかけて読んで、たくさん書き込みをして収録に臨みました。あとは取材のときに聞きたいことがあってもなかなか聞き出せないときに、どうやって自然な形で答えてもらえるか、考えるのが大変でした。