開拓時代支えた和スイーツ、100年以上変わらぬ味で愛される元祖月寒あんぱん 味・旅・遊
創業から100年以上変わらぬ味で北海道民に愛されている「元祖月寒(つきさむ)あんぱん」。明治時代に道路づくりに従事した兵隊に配られたことがきっかけで「アンパン道路」の愛称が付けられた道もいまだ健在だ。まちづくりにもかかわってきた月寒あんぱんの歴史をたどった。 【写真】「会社に唯一残った昭和17年ごろの写真をポスターにしています」と話す本間社長 ■残った1枚の写真 月寒あんぱんは明治39(1906)年創業の「ほんま」が製造元だが、その発祥は7(1874)年までさかのぼるという。 その当時、札幌で菓子製造に携わっていた大沼甚三郎氏が東京・木村屋の「桜あんぱん」が大ヒットしているという話を聞き、独自の「あんぱん」を考案。取引先の陸軍へ大量納入するため、近隣の同業者6人に製造協力を呼びかけた。その製法の手ほどきを受けた一人が、のちの「ほんま」創業者となる本間与三郎氏だ。 5代目社長の本間幹英さん(54)は「桜あんぱんの実物を見ずに想像で考えたのが月餅のような月寒あんぱん。小さな菓子店7軒が協力して陸軍に納品していたようだ」と語る。 その後、先の大戦により札幌の菓子店も次々と姿を消す中で、「ほんま」は残った。戦禍を乗り越えて残った1枚の写真がある。昭和17年ごろの製造工場の様子で「当社の歴史を知ることができる唯一の資料。先代社長に聞き取りしながら少しずつ歴史をたどっている」と話す。 作業従事者に支給 歴史の針を戻す。明治44(1911)年、陸軍第七師団歩兵第25連隊と地元住民が協力して現在の札幌市豊平区平岸から月寒へと抜ける道路が完成。この工事の際、作業に従事した兵隊1人に5個のあんぱんが毎日配られたという。 「力の源でもあった月寒あんぱんを食べてもらいながら兵隊の労をねぎらったのでしょう。愛称を込めて〝アンパン道路〟と呼ばれるようになったんです」 国道453号の平岸通りから国道36号の月寒通りを結ぶ約2・7キロ区間の「アンパン道路」。当時の出来事を想像しながら起伏のある道を国道36号側に通り抜けた先には、月寒あんぱん本舗・月寒総本店の看板があった。 店内には定番のこしあん(178円)をはじめ、黒糖あん、黒ごまあんなど5種類の味の月寒あんぱんがずらり。砂糖少なめで、はちみつをたっぷり入れた昔と変わらない製法のこしあんを薄皮で包んだ優しい味の和スイーツがおいしい。