減益90%超……最近元気がない日産だけど、振り返ると記憶に残る名車は実に多い!
2024年4月から9月までの日産の中間決算は、主力のアメリカ市場での販売不振などから営業利益、最終的な利益ともに90%を超える大幅な減益。日産では経営の立て直しに向けて、世界で生産能力を20%削減し、9000人の人員削減を行う方針を明らかにしました。まさに正念場を迎えている日産。 「日産の記憶に残る名車」の詳細を写真で紹介 本稿では、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員の一人でもある、モータージャーナリストの岡本幸一郎さんに日産の名車について振り返ってもらいました。
昔の日産は名車が多かった
若い方々にはピンと来ないかもしれないが、日産はかつて日本の自動車メーカーとしてトヨタと双璧をなすほどのメーカーだった。たしか80年代初頭には、日産とトヨタはお互いシェア率が30%前後で、最接近したときには約5%しか差がなかったほどだ。 ところが、時がたつにつれて差が開いていき、いつしかシェアはトヨタ約48%、日産約14%(2024年3月)というようになったわけだが、販売台数やシェアでは大差がついたものの、記憶に残る名車の数なら、日産もぜんぜん負けていない。むしろ昔は日産車のほうが名車が多かったぐらいだ。 そこで今回は、「スカイライン」「フェアレディZ」のような長い伝統を誇る名車や、比較的新しい「エクストレイル」「エルグランド」のように現在まで続いていている車種ではなく、今ではなくなってしまったなかで、印象的だった車種をいくつか紹介したい。
80年代終盤から90年代は「元気な日産」
まずは初代「シーマ」。1988年に登場し、当時のバブル景気もあって「シーマ現象」なる言葉を生み出すほど売れに売れた。当時としては相当なハイパワーである255psを発揮したエンジン・VG30DETが生み出す強烈な加速により、リアを下げて離陸するかのように走り去る姿が忘れられない。最近になっても、有名女優さんが長年愛用していることがたびたび報じられているのは、それだけ印象的なクルマだったからにほかならない。 その少しあとに出た、「S13シルビア」も大人気を博した。この類いのクルマで月販がコンスタントに1万台を超えていた時期があるのは大したものだ。美しいデザインで女性ウケもよく、デートカーとしてだけでなく、手頃な価格とサイズのパワフルなFR車であることから、兄弟車でよりスポーティなスタイリングの「180SX」とともに走り好きにも大いにもてはやされた。 その後シルビアはS14、S15と進化するものの販売は下降線をたどり、消滅してしまったが、いまや中古車市場では新車価格をゆうに超えるものがズラリ。走り好きからずっと支持されつづけている。 1990年登場の初代「プリメーラ」も印象的な1台だった。日本車ばなれしたデザインとセダンなのに車内が広々したパッケージングの巧みさに加えて、何より走りが鮮烈だった。FFでここまで極めたクルマはちょっと心当たりがない。開発陣は日本では売れないだろうと思っていたそうだが、ことのほか売れて驚いたそうだ。 「Be-1」、「パオ」、「フィガロ」というパイクカー(※)を送り出して人気を博したのもその頃。日産はそうした他社にはあまりないユニークな取り組みもやっていたのだ。それらパイクカーの中古車には、おそるべき高値のついている個体もある。 ※レトロ調であったり先鋭的であったりと、スタイリングが特徴的な自動車。 それらパイクカーのベースになった「マーチ」は、日産のエントリーモデルとしてこのクラスを支えてきたが、1992年登場の「K11マーチ」は国内と欧州でカー・オブ・ザ・イヤーを受賞するほど高く評価され、販売の面でも最盛期には1年間で約14万2000台が売れたほど非常に人気の高いモデルだった。次の「K12マーチ」もかわいらしいデザインで特に女性から人気を博したが、その次の「K13マーチ」はあまり評価が得られず、尻すぼみで消滅してしまったのは残念だ。 80年代終盤から90年代にかけて、「元気な日産」をアピールしていた通り、ここで紹介していない車種も含めて、日産には存在感のある印象的なクルマがいくつもあった。