ウクライナ戦争で浮かび上がる「黒海」 遊牧民と帝国が交錯する歴史と日本
日本に及ぶ「アングロサクソン民族 vs スラブ民族」の地政力学
前掲書は歴史書として、このあたりまでの記述にとどまっているが、ここでそのあとのことを述べたい。 19世紀、突然のごとく、黒海に出現した勢力はイギリスであった。ロシアが陸上で遊牧民を支配しているあいだ、イギリスは海をわたって、主として北アメリカの狩猟民を支配してきた。その間、新興のロシア帝国が戦った旧帝国はオスマンであったが、新興のイギリス帝国が戦った旧帝国はスペインであった。そのイギリスとロシアが黒海で衝突するのだ。 われわれはイギリスの海上勢力が、主として大西洋を支配したという事実に目を奪われがちだが、彼らの船は、当然のごとく地中海を席巻し(地中海艦隊)、黒海にまで力を及ぼす。その勢力は、はじめのうちオスマンと衝突するが、オスマンが衰えるに従ってロシア(黒海艦隊)と衝突する。それがクリミア戦争だ。そこに19世紀以来今日にまで続く「イギリス vs ロシア」の長期的な地政的対立の力学が成立する。中世まではほとんど歴史の表舞台に登場しなかった、遥か北方の二つの民族が、黒海で衝突することによって、世界の新しい地政力学を形成するのだ。つまりイギリスとロシアの対立は、16世紀以後「ユーラシアの帯」の外側に伸長した「海の力」と、その帯の内側を征した「陸の力」との衝突であるといえる。 この力学は、地球を一周するように、ユーラシアの東端にも現象する。東の海におけるロシアの南下をくいとめようとするイギリスは、新興勢力としての日本を活用する。幕末維新における薩長への加勢、明治以後の文明開化の後押し、日露戦争直前の日英同盟締結などは、その地政力学に従っている。 考えてみれば「アングロサクソン民族 vs スラブ民族」あるいは「英米という海の力 vs ロシアや中国という陸の力」の衝突は、19世紀初頭から21世紀の現在におけるウクライナ戦争にまで続いているのだ。 しかし日米の太平洋戦争は、この力学から外れる現象であった。これについてはまた別の機会に考えたい。