「不安が大きくなる人」「ならない人」の根本的な差 転がせば転がすほど、悩みは重く大きくなる
そのための知恵が、禅にはあります。 ■考えるより「動く」のが先 例えば、禅に伝わる「丹田呼吸」はいい訓練になります。「ふう~~~~」と息を長く吐いて、それからゆっくり息を吸い、息をおへその下まで落としていきます。 心が乱れているときは、呼吸も乱れているもの。しかし反対に、呼吸を整えることで、心が整い、不安を遠ざけることができます。 「とにかく今すぐ動きなさい、今すぐ動けば不安は消える」という教えもあります。これを「禅即行動」といいます。
以前、私のお寺に元引きこもりの青年が掃除にきていたことがあります。一度は就職したものの人間関係に悩んで退職。それから部屋に閉じこもって考え事をしているうちに、身動きがとれなくなってしまったそうです。 しかし青年は、暑い時も寒い時も掃除をして汗をかきました。そのうちに、心をとらえていた不安が和らいでいき、半年もしないうちに社会復帰できました。 考えることは大切、けれども、動くことも同じぐらい大切。文武両道の言葉の通り、 文と武、頭と身体がバランスよく働かなければ、人は前に進めないのです。
不安を転がさず、「今、この瞬間」を生きる。それができたら、人生の9割は所詮小さなことだと、らくに構えていられるでしょう。 もっとシンプルに、不安を「放っておく」ことから始めてみるのもよいでしょう。 私たち禅僧は「非思量(ひしりょう)」になることが大切だと教わります。 非思量とは、とらわれているものをなくし、心を無の状態にすることです。イライラもクヨクヨも、頭を空っぽにすれば消えゆくのみ。理屈としては、そういうことになります。
「でも『何も考えてはいけない』と思えば思うほど、考えてしまうんです。消そう消そうとしても、邪念で頭がいっぱいになるんです」 確かにその通りです。例えば「明日までに仕上げないといけない重要書類のことは絶対に考えないでください」と言われたら、その書類のことばかり思い浮かぶはず。 それは、イタズラするなと叱られた子供がかえってイタズラしたくなるのと同じ理屈です。イライラクヨクヨしたくない、穏やかに生きたいと思えば思うほど、イライラクヨクヨが長引くのも、こうした心の働きによるものなのでしょう。