ラースロー・モホリ=ナギの名言「…は、本当の創造的仕事の基盤を自ら作りだす。」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。20世紀初頭のバウハウスで教鞭を取り、デザイン教育の基礎を築いたラースロー・モホリ=ナギ。写真や映画にも精通し、新しい視覚媒体と美術表現のつながりを模索し続けたモホリ=ナギが考える、創作にとって大切なこと。 【フォトギャラリーを見る】 明日避け難い道を行くことを今日恐れぬ者は、本当の創造的仕事の基盤を自ら作りだす。 今や、誰でも写真や動画を撮れるのは当たり前。日常的な記録はもちろん、美術表現として映像媒体を用いることも珍しくない。しかし、モホリ=ナギがバウハウスで教師を務めた1920年代は、まさに映像黎明期。美術表現はおろか、一般社会に写真や映画の存在が浸透しはじめたばかりの時代だった。そんななか、モホリ=ナギは写真や映像技術を表現手段として昇華する方法をいち早く模索し、美術教育に導入。視覚メディアが持つ新たな可能性を『絵画・写真・映画』にまとめあげた。 「人間は慣れ親しんだ仕事の仕方に変革をもたらすような新しい道具、新しい仕事の方法を考案するものだ。しかししばしば新しいものは長い間、正しく利用されない。それは古いものにより阻止される。……新しいものの創造可能性はこのような古い形式、古い道具と造形領域を通して大抵ゆっくりと明るみに出されるのであり、古いものは新しいものが現れることにより、幸福な繁栄へと追いやられる」 写真や映画の登場について本書でこう語ったモホリ=ナギ。新しい技術は往々にして既存の表現を深めるために用いられ、全く新しい表現に辿りつくことが難しい。モホリ=ナギはその慣例を取り払い、従来の絵画では成し得なかった写真や映画独自の表現方法を追い求めていった。自らの手で描き、作り出すことがもてはやされる時代に、「遂行の仕方はー自分でやろうと他人に委託しようと、手であろうと機械であろうとーどうでもよいのである」と言い放ったモホリ=ナギ。大切なのは、「どう作るか」ではなく「何を作るか」。当時最先端を走った“メディアアーティスト”は、美術表現の核心を的確に捉えていたのだ。
ラースロー・モホリ=ナギ
1895年、ハンガリー生まれ。美術教育家、写真家、画家、デザイナー。ブタペスト大学で法学を学んだ後、ハンガリーの芸術家集団「MA」に加入。ハンガリー革命後にドイツに移住し、1923年にバウハウスで教鞭を取りはじめる。1928年にはバウハウスを退任、ベルリンでタイポグラフィーやフォトモンタージュの研究を行う。第二次世界大戦の影響でアメリカに移住した後、シカゴにデザイン学校「スクール・オブ・デザイン」を開校。学長業務の傍ら、画家、デザイナーとして創作活動を行う。1946年、白血病により51歳で逝去。
photo_Yuki Sonoyama text_Kentaro Wada illustration_Yoshifumi ...