毛利悠子インタビュー。私とモネ、クレー、デュシャンらの巨匠を貫く“ピュシス”への関心
制約から飛躍へ、“ピュシス”について
──毛利さんの作品はこれまで、私にとっては吊り下がり、たゆみ、上から下への水の流れなどが作品に取り入れられ、重力の存在を感じることが多かったです。ですが今回は枠を超えて空間に飛んでいくような飛躍、広がりを感じてとても新鮮でした。たとえば《めくる装置、3つのヴェール》(2018~)では、作品の一部が枠の外に出て、壁の裏にまで到達していますね。 毛利:その“枠”については私も設営中に考えていました。今回、けっこう展示空間に“四角”が多いんです。なぜかと言うと、先ほども言ったように実際の展示空間上で実験する時間が少なくて、事前のシミュレーションを念入りにしたからです。結果、厳密な配置や台座・壁が多くなり、各所で“角張り”が生じてしまった。ヴェネチアは空間を自由に埋めていく感じでしたが、ジャム・セッションはそれでは時間が足りなくなってしまう。「四角い印象だな……じゃあその“枠”とはなんだろう?」と考えて、その“枠”を超えることが間接的にでもできたら面白いよね、と。電球の影やはみ出るケーブル、空き缶などで視覚的に誘導したり、あるいはご指摘にもあった壁裏に掛けた蝶々がさざ波のように映る写真作品(《Butterfly, Pleated》シリーズ、2017)を《めくる装置…》と《I/O》とを共振させる仕掛けとして最後の最後に付け加えてみたり。そういった見えない振動によって過去の作品もシェイクされるみたいなことが起こるんじゃないかと、細かい作業で調整しました。 ──今回、インタビューにあたって“ピュシス”を調べたのですが、その意味について知るほど、たしかに毛利さんの作品に近しい言葉であるように思えました。図録によると、毛利さんは“ピュシス”を“自然”という言葉であると同時に、偶然性・不確定性としてとらえている。また、そういった偶然性・不確定性は“インプロビゼーション”とも通じるところがあり、毛利さんの作品の大きな要素であるように見えました。たとえば、“インプロビゼーション”が活動の小項目であるとするならば、“ピュシス”は現時点での大項目であるようにも感じられたのですが、そのあたりはいかがですか? 毛利:うーん、自分の大項目をわかってしまったら死ぬみたいな感覚があり……(笑)、まだまだ取り組むことはたくさんあると思っています。私は身の丈に合ったことをやろうっていうことを意識していて、自分が大それたことをやってやろうというふうには思わないようにしてるんです。教員としても、アスリートの素振りのように毎日作ることが大切だと教えていて、実際そうあるべきだと思ってもいる。「ピュシスについて」も大きなタイトルではあるけど、でもそれは大きなことをやりたくて飛びついたものではなくて、全然違う角度でちっちゃいことをたくさん重ねてきたことで、やっとたどり着いたものだった。だから、もちろん“ピュシス”は私にとって身近であり、今後も考える“よすが”となる概念です。作品作りはたぶん一生の仕事だから、小項目と言えるテーマを人生の中でどう作りつづけていくかのほうが、感覚としては大事にしたいですね。 ──素振りを続けていく。 毛利:そう、それは作家としてだけではなくひとりの人間としても考えます。見る人が見ればご理解いただけると思いますが、ヴェネチアでの個展「Compose」には、環境問題から原発事故、パレスチナで起こっている悲劇まで、私としては珍しいくらい大きなテーマのレイヤーも重ねてあります。地球上の危機は各方面で大きく立ちはだかっている。でも、そこで発表した作品は大言壮語ではなく、私にとって身近な、雨漏りという“小さな問題”の提示とその解決の一端です。自分たちが生きていくなかで何ができるかというときに、自分の選択はとりあえずこうだとは言えるようにしたい。そのために必要なのは大項目ではなく、自分ができる範囲でコツコツと動き続けて、さざ波をいくつも起こしていくことが大事だと思っています。
Chiaki Noji