江戸時代の寺子屋にあった「あやまり役」 教え子の万引き事件で感じた「許し」の知恵
あれでよかったのか
彼女の処分をどうするかは、とても難しい問題だった。 日本語学校の関係者の中には、即刻退学処分にすべきだという人もいた。状況がどうであれ窃盗は窃盗だ。もう二度と同じことが起こらないように学校側が厳しい態度を示して、ここで悪い芽を摘んでおくことが肝要だというのだ。 また同じことが起こって警察沙汰になったとき、このことは必ず蒸し返される。あのとき甘かったからだと言われるような状況は潰しておくべきだという意見も出た。 それも一理ある。だが、やはり賛同できなかった。 人はそれほど強い存在ではないと思っていたからだ。アミさんと同じ境遇に置かれても自分なら絶対だいじょうぶだと言い切れる人がどれだけいるだろう。 それどころか、私たちは一歩間違えば、集団の規範を逸脱したり、うっかり悪事に手を染めてしまうことさえあるのではないか。 だったら、ふらっとそちら側に行ってしまった人を排除するのではなく、こちら側に連れ戻し、やり直すチャンスを渡して、ともに生きていこうとする方がいいに決まっている。 そう思った。 量販店とスーパーが穏便におさめてくれたこともあって、結局、アミさんへの処分は訓告に留まった。 ただ、未成年だったので、国の親御さんには電話で顛末を伝えた。彼女にとってはそれこそが重い罰であったはずだ。 あれからずいぶん経つが、折にふれてあれでよかったのだろうかと反芻してきた。 今もそうだ。 だが、一つだけ確かなのは、あの日、私は「あやまり役」だったということだ。 アミさんは次の年、第一志望の大学に合格し、卒業後少し働いてから帰国した。 今どうしているだろう。 あの日のことを、ときには思い出しているだろうか。(大学教員、ライター、編集ディレクター=横内美保子) (※記事中の人物の名前や状況は、事実にできるだけ即しつつも、配慮が必要だと考えた部分は、言い換えもあることをお許しください。)
朝日新聞社