江戸時代の寺子屋にあった「あやまり役」 教え子の万引き事件で感じた「許し」の知恵
叱られるのは誰?
面白い本を読んだ。「体罰の社会史」、著者は教育史の研究者である江森一郎氏である。 江森氏は広く丹念に資料にあたり、それまで知られていなかった寺子屋のしきたりを掘り起こした。 それは「あやまり役」というものだ。 「あやまり役」について、教育史を専門とする江森一郎氏は、著書「体罰の社会史」の中で次のように記している。 寺子屋で師匠から罰を受けた場合、師匠の妻、寺子屋の近所の老人(泣き声など聞きつけてやってくるという)、子どもの家の近くの人、親自身、子どもの友達が、本人に代わって謝ることによってようやく許されるという謝罪法が一般化していたことは、非常に面白いことではなかろうか。 江森一郎「体罰の社会史」(1989、新曜社) 江森氏は宝島社が出版した「江戸の真実」の中で、「寺子屋の『あやまり役』」というパートを執筆している。それによると、寺子屋ではあらかじめ寺子の中から「あやまり役」を決めておき、師匠がしかり始めると、悪さをした子どもの代わりにあやまり役が率先して謝っていたという。 最も重い罰である破門、放校の場合も名主などが詫(わ)びを入れて、まるくおさめたという。 では、どうしてこのような仕掛けをわざわざ設けていたのだろうか。 江森氏は、同じく「江戸の真実」の中で、次のように指摘している。 「師匠は厳しくあるべき」という儒教的な教育観から、師匠は一度下した罰を自身では簡単に撤回しにくいという事情があった。そこで、ほどほどのところで鉾をおさめるための工夫が必要だった。 その一方で、紛争や裁判の解決法として、幕府によって和解が奨励され、その場合「第三者の介入」が中世以来の慣例となっていた。 こうした要素が複合的に絡み合っていたのではないかという解釈だ。
それにしても「あやまり役」はよくできた装置だ。 師匠は相手が「あやまり役」だからこそ、手加減せずに諭すことができる。 その叱責をひたすら浴び続ける「あやまり役」の寺子仲間も、それが役目だから、傷つきはしないだろう。 師匠の妻や隣人が罰せられた子どもに代わって頭を下げれば、師匠は「仕方ない」と切り上げられる。 そのすべてが「あやまり役に免じて許す」という幕引きに向かって収斂(しゅうれん)するのだ。 では、渦中の子どもはそこから何を学んだのだろう。 「あやまり役」を懇々と諭す師匠の言葉を横で聴き、自分の行いがなぜいけなかったのか理解する。 自分が悪いことをしたばかりに周りを巻き込み、自分のせいでつらい目に遭わせてしまっているさまを目の当たりにする。 そんなときには、自分のために頭を下げる「あやまり役」の姿が心に響き、そういう事態を引き起こしてしまったことが、いたたまれなかったかもしれない。 その痛みは、自身が直接叱責を受けたときのそれに勝るのではないだろうか。 しかしその一方で、自分は過ちを犯しても周りから見放されず、それどころか身を挺(てい)して庇(かば)ってもらえ、結局は許され受け入れられることも実体験する。 ひとは、そのように、無条件に支えてくれる他者がいるからこそ、その他者が示してくれた愛情に応えるために、自らを大切にしようと思えるのではないだろうか。