大河『光る君へ』刀伊の入寇と蒙古襲来 壱岐・対馬を襲った異民族の残虐行為 識者が語る
NHK大河ドラマ「光る君へ」第46回は「刀伊の入寇」。刀伊の入寇が描かれました。刀伊とは、朝鮮半島東北部に住む女真族のことですが、その刀伊が対馬・壱岐を突如、襲ったのでした(1019年3月)。50余隻の船団で来襲した刀伊軍に立ち向かったのが、大宰権師(大宰府の政務を統括する役)の藤原隆家(藤原道長のライバル・伊周の弟)です。隆家は、長和3年(1014)、大宰権師に任じられていました。『大鏡』(平安時代後期成立の歴史物語)によると、隆家は太宰府において善政を敷いたため、人々はそれに服したとされます。 【写真】刀伊軍に立ち向った藤原隆家を演じる竜星涼 さて、対馬・壱岐に襲来した刀伊軍は、壱岐守・藤原理忠を殺害したり、略奪を行います。その後、筑前国にも侵入し、人々を殺し、あるいは拉致しました。刀伊の入寇により、約千人の拉致被害が発生したとされます。異民族の襲来を、隆家は朝廷に急報。そして、太宰府軍を率いて刀伊軍と戦うのです。 『大鏡』によると、隆家は筑後・肥前・肥後やその他、九州の武士を招集し、刀伊と戦ったとあります。刀伊は、1つの船に50、60人が乗っていたという。彼らは上陸の際には、20、30人の剣を持った者を最初に上陸させ、その後に70、80人の弓や盾を持つ者を従わせた。それらの者が一隊を形成し、そうした隊が10、20人と上陸してきたのです。刀伊は、山野を駆け回り、馬や牛を斬り殺し、その肉を喰らいます。老人や子供は捕縛され、殺されました。壮年の男女は、船に連行されたのです。 鎌倉時代中期の蒙古襲来の際にも、蒙古軍は壱岐・対馬を襲い、島民を捕えたり、殺したりしていますが、それを彷彿とさせます(捕縛された女性は、手の平に穴を開けられて、船に結び付けられました)。隼の如く迅速に動く刀伊軍でしたが、隆家率いる太宰府軍の奮戦により、最終的には撤退していきます。 戦いは1週間ほどで決着しました。戦闘期間中には、約350人の犠牲者が出ました。隆家は刀伊軍を追って、高麗領には入らぬよう太宰府軍を戒めていますが、彼は豪放磊落なだけでなく、冷静沈着な面もあったと言えるでしょう。 ◇主要参考文献一覧 ・志方正和遺稿集刊行会『九州古代中世史論集』(志方正和遺稿集刊行会、1967年)・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)・関幸彦『刀伊の入寇』(中央公論新社、2021)・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023) (歴史学者・濱田 浩一郎)
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