駐日ジョージア大使 早大での就活が人生で最も辛かった…<絶対落ちる>最終面接を前に思いついた突破策とは
◆就職活動のつらさ 大学2、3年生になると多くの親が子供に対して「就活に向けてちゃんと動いているのか」と圧力をかけ始めます。その親からの圧力がどこから来ているかといえば、社会からの圧力です。 就職していないと世間の目が厳しいから子供にあれこれ言うわけで、「生計を立てられるのか」とか「この子の将来は大丈夫か」という心配よりも先に、周囲の目を気にしているのです。 ジョージアではそんなことはありません。働いていない人も社会に溶け込んでおり、若者の失業者・求職者に対しても「そうなんだ。そのうち、いいところが見つかったらラッキーだね」くらいのスタンスで、あたたかいのです。 このような日本の特徴は、日本人が誰かと知り合うときに「**社の課長の誰々さん」「**大学の教授の誰々さん」という形で、所属とセットになってお互いを認識し、コミュニケーションを取ることにも通じています。 欧米では相手をまず個人として捉え、そのあとで「この人はこういうこともやっている」「こんな仕事もしているんだね」という付き合い方をします。 ところが日本では所属や肩書きがあるのとないのとでは、社会的な地位が天と地ほども違います。だからこそ肩書きがなくならないよう、定年退職した人に天下り先が用意されていたり、顧問職があったりするのかもしれません。 肩書きがなくなった老年男性が急速に衰えるとか、アイデンティティ・クライシスに陥るといった話をよく聞くでしょう。若者についても同様で、学校を卒業しても就職先が得られないと、肩書きのない、何者でもない宙ぶらりんの価値のない存在になってしまう、そう思い込まされています。 そういう社会的な重圧のなかで日本の若者は就職活動を強いられているのです。
◆就活シーズンが、人生でもっともつらかった 日本では新卒一括採用であるがゆえに、就活シーズンになると多くの大学生が就活モードに切り替え、リクルートスーツを着て、就活サイトやマニュアルが提供する「自己分析」を行い、自己PRや志望動機、ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)を創作して面接に臨みます。 私は、日本の就活がそのようなものであることを知らなかったために、スタートに出遅れてしまいました。また、「なぜこんなことを就職活動している学生に求めるのか」という違和感だらけで、日本の就活のやり方を飲み込むのにも時間がかかりました。 早稲田大学ですから、周囲の日本人の友人たちの大半はそつなく就活に適応し、「このような私自身の経験から御社に憧れがあり」「この会社でこのような仕事に取り組みたいと思っています」等々、あることないことを作り出して面接を乗り切り、内定をもらっていました。 しかし私は就活用に自分を作ったり演出したりして、エントリーシートや面接のためにウソをつくことにどうしても抵抗がありました。入る気がしない会社にも応募して、本命のために練習するようなことにも積極的になれず、結果、数社受けたもののすべてダメでした。 私は本音ではジョージアのために仕事をしたいと思っていたのですが、大学卒業後すぐにそれにつながる就職先が具体的には見つからず、あまり本気でなく就活に臨んでいましたから「志望動機は?」などと聞かれても、困ってしまったのです。 就活がうまくいかないタイプの学生は皆そうではないかと思うのですが、落ちるとますますやる気がなくなり、「どうせまた落ちるんだろう」と自信もなくなって、さらにうまく話せなくなる負のスパイラルに陥っていきました。 就活していたころが、私の人生でもっともつらく、空回りしていた時期だったかもしれません。
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