ジミー・カーター元米国大統領は、気候変動問題を最初に認識した世界の指導者だった
■エネルギー省を創設しクリーンエネルギー研究を後押しした
1977年には米国エネルギー省を設立し、クリーンエネルギーに関する最先端の研究を推進した。1978年に署名した国家エネルギー法には、クリーンエネルギーに対する米国発のインセンティブを導入したほか、省エネ促進施策も盛り込んだ。 また、ニクソン政権下(1970年)に創設された環境保護庁(EPA)を強化したのもカーター元大郎良だ。初めて自動車燃費基準を設けるなど、大気汚染対策を強化した。 しかし、その後のレーガン政権は、クリーンエネルギーの研究予算を削減し、風力発電に対する減税措置も廃止した代わりに、化石燃料に傾倒した。燃費基準を緩和して、ガソリンを大量に消費する自動車・トラックの時代へと突入する。
■アラスカでの土地保全など、自然保護にも尽力した
カーター元大統領は、国立公園局の管理する土地面積を倍増したことでも知られる。 なかでもアラスカでは、1978年に5600万エーカー(約23万平方キロメートル)の原生地域を保護区に指定した。反発した一部の住民はカーター氏の肖像画を燃やした。 1980年11月の大統領選で、カーター氏のアラスカ州でわずか26%しか得票できなかったが、退任前の翌12月には、アラスカ重要国有地保全法(ANILCA)に署名し、1億5700万エーカー(約64万平方キロメートル)以上を野生生物保護区や国立公園に指定した。カーター氏自身はANILCA法を「最も優れた自然保護法の一つ」と考えていたという。 しかしその後、2000年頃になってアラスカ州で10億ドル規模の観光産業が花開くと、住民はカーター氏の過去の施策を画期的な功績と評価するようになる。カーター氏が2000年に同地を訪問した際には、スタンディングオベーションで演説が5回も中断されたとのエピソードも残る。
■「産業革命以前から2.0℃以内に抑える必要性」を説くレポートが出る
ジョージア州知事時代の1972年、科学誌「ネイチャー」に、大気中の「人為的な二酸化炭素と温室効果」に関する画期的な論文が発表された。カーター氏は当時、この論文に目を留めたと米タイムズ誌は報じる。 大統領に就任すると、すぐに「世界の人口、天然資源、環境における起こりうる変化」に関する調査を命じ、ホワイトハウスの環境品質評議会(CEQ)がレポートを3つ発行した。最後のレポートは、当時、一部の科学者らが「二酸化炭素汚染」と懸念していた長期的な環境への脅威について報告したもので、カーター氏の退任直前の発行となった。 その報告書は、化石燃料の燃焼が、世界の気候、経済、社会、農業に広範囲かつ長期にわたって変化を引き起こす可能性があると警告した。そして、リスクを回避するには、世界の気温上昇を産業革命前の水準より2℃以内に抑えるべきだと勧告した。 この勧告は、それから35年後の2015年、国連気候枠組条約(UNFCCC)に加盟する196か国が合意したパリ協定の内容と一致する。なおその後、2021年のCOP26(国連気候枠組条約第26回締約国会議)で、パリ協定では努力目標とされていた「1.5℃」を、事実上の目標とする決意が示され、今に至る。