ジミー・カーター元米国大統領は、気候変動問題を最初に認識した世界の指導者だった
■省エネを呼びかけた「セーター演説」
就任後間もなく、カーディガンを着て暖炉を囲んだカーター氏は、テレビを通じて国民に、省エネを呼びかけた。これは米国人の間で「セーター演説」として知られる。 「私たちは皆、エネルギーを無駄遣いしない方法を学ばなければならない。例えば、暖房を昼間は65℉(約18.3℃)、夜は55℉(約12.8℃)に設定するだけで、天然ガスの不足を半減できる」と語りかけた。 ジャッフェ所長は、「今ではエネルギー効率を考えることは当たり前だ。しかし、1950~60年代の米国人は、石油は常に供給されると考えており、この呼びかけを揶揄する人もいた」と米紙にコメントした。 「しかし当時、エネルギー専門家の間では、石油や天然ガスがいずれは枯渇する可能性があるとも考えられていた。そこでカーター元大統領は代替エネルギーの利用を奨励した」(同)。
■ホワイトハウスに初めて太陽光パネルを設置した
カーター元大統領は、海外への石油依存から脱却するために、米国内での石炭採掘を推進した。1970~80年代には、化石燃料がもたらす環境への負の影響はまだ十分に認識されていなかったが、1977年に「地表採掘規制・埋立法」に署名し、石炭採掘による環境への影響を最小限に抑えようと努めた。 同時に重視したのが太陽光発電の生産拡大だ。「誰も太陽光を禁輸できない。太陽を支配するカルテルはない。太陽エネルギーは枯渇しないし、空気や水を汚染しない。悪臭やスモッグもない」と、太陽エネルギー研究所(米国立再生可能エネルギー研究所の前身)で演説したこともある。 カーター元大統領は、太陽エネルギー戦略を「地球上で最も優れた産業社会を築くことと同じくらい重要な挑戦」だと表現した。そして20世紀末までに、米国の発電容量の20%を再エネで賄うとの野心的なビジョンを持っていた。 1979年には、ホワイトハウスの屋根に初めて32枚の太陽光パネルを設置した。「この太陽光発電は今から1世代後に、人類が歩まなかった道を示す珍品として博物館に展示されているか、米国民がこれまでに成し遂げた最も偉大で最もエキサイティングな冒険のほんの一部として存在することになるだろう」と落成式で演説した。 しかしこのパネルは、1980年の米大統領選でカーター氏を破ったロナルド・レーガン政権下で撤去される。レーガン氏は選挙戦のさなか、「窒素酸化物による大気汚染の8割以上は樹木や植物が原因」と発言したことで物議を醸した。レーガン政権下で首席補佐官に就いたドナルド・T・レーガン氏は、太陽光パネルを「ただの冗談」だと揶揄したという。 その後、オバマ元大統領が新世代のソーラーユニットを2010年に設置するまで、ホワイトハウスに太陽光パネルは設置されなかった。 撤去された太陽光パネルは今、メイン州のユニティ・カレッジの屋根に設置され食堂の給湯に利用されている。そのうち1枚は、その歴史的意義の解説とともにキャンパス内で展示されている。 カーター元大統領は、退任後も太陽エネルギーの擁護者であり続けた。故郷ジョージア州の人口1000人にも満たない町・プレインズで、自身の土地を貸し出し、何千もの太陽光パネルを設置するプロジェクトを監督した。現在、町の人口の半数の需要を賄うのに十分な電力を供給しているという。