「出生届を出したら飛び降りて死ぬ」…「予期せぬ妊娠」で絶望していた40代女性が「スッピン、部屋着」のまま向かった先
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病院の窓から飛び降りようとしたことも
現在、東京都江戸川区にあるNPO法人らいおんはーと(https://npo-lh.com/)のスタッフとして運営の中枢を担う佐藤すずみさん(40代)は、付き合っていた男性と関係を解消しようと思っていたタイミングで予期せぬ妊娠をする。その後、夜逃げ同然で同棲を解消したが精神的が不安定になり、「死にたい」と思い詰めるように…。 実際、出産のために入院した病院でも、佐藤さんの「死にたい」は消えなかった。 「病室のほかの妊婦さんには旦那さんがいて、面会にやってきます。私はお腹の子に対して『お父さんがいない、シングルマザーの子でごめんね』と謝ることしかできません。病院の窓から飛び降りようとしたこともありますが、はめ殺しになっていて開きませんでした。 出産は帝王切開だったので、術後しばらく動けない私に代わって、父が役所に出生届を提出してくれました。その父に電話で『私には名付ける資格が無いから、出生届を出したら飛び降りて死ぬ』みたいなことをわめいた記憶があります。産まれる前から名前を決めている夫婦も多いと思いますが、私の場合、そんな余裕はありませんでした。名前を決めたのもかなり遅かったと思います。そもそも、里子に出すつもりでソーシャルワーカーとも話し合いをしていました」
NPO法人らいおんはーとの門を叩く
両親はそんな佐藤さんを支援し、また他方で諭しもした。 「出産後は、食事を食べさせてもらったり、オムツなどの日用品を買ってもらったり、あらゆる面で実家にサポートしてもらいました。ただ、私が「育てる自信がない。不安で仕方ない」とネガティブなことをたびたび口にしていたので『親がそんな状態でどうする。もっとしっかりしなさい』と注意されることもあり、辛くなって実家から足が遠のいたりもしました。 実は出産のために入院した病院で精神科を受診し、うつ病であると診断されましたが、心配させるのが嫌で打ち明けずにいました。だから当時の私の心理状態について両親は正確に知らなかったようです」 本来は喜ぶべき子どもの誕生を、心から祝えない。実家の支援はありがたい反面、頭では理解していても心が追いつかない部分を正論で責められるのが辛い。八方塞がりのなか、佐藤さんはNPO法人らいおんはーとの門を叩く。 「赤ちゃんと2人で家にいるのも何だか怖かったんです。変な話ですが、『家に誰かがいるのではないか』と考えてしまって。とにかく精神状態の安定しない私は、当時9ヶ月くらいだった子どもを抱きかかえて放浪していました。そこで、『NPO法人らいおんはーと』の看板を見つけたんです。電話をすると、及川理事長が出ました。『近くにいるなら来てください』と言ってもらえて、階段を上がったのを覚えています。 そのときの私はノーメイクでメガネをかけて服装も部屋着のまま、表情も乏しくて、陰鬱としていたと思います。こども食堂にいた子たちは『やばい人がきたな』と思ったとあとから教えてくれました(笑)。でもそのくらい、切羽詰まっていたんですよね」