「歌うことは人生最大の恐怖だった」 怖さを乗り越え自己肯定力を手にした星野源の決断
これまでに何度も恐怖を味わってきた。歌を歌いはじめた時や、突然の病に見舞われた時など。けれども、そのたびに星野源は音楽とともに恐怖を乗り越えてきた。昨年、ソロデビュー10周年を迎えた彼が、そのキャリアやコロナ禍の現状に見る怖さとは。(取材・文:門間雄介/撮影:伊藤圭/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
救急車で運ばれる時、異世界に入っていく感じがした
2020年にソロデビュー10周年を迎えた。キャリアを振り返り、節目になるタイミングごとに怖さを感じてきたと星野源は言う。 「歌を歌いはじめて、最初のソロアルバムを出す時に、とても怖かったのを覚えています。それまでインストゥルメンタルバンドのSAKEROCKで活動していて、歌いたい気持ちはあったけど、バカにされるかもしれないし、暗い曲ばかりできるタイプだったので、この暗いものを世の中に出していいのかなって。そしたら役者として所属する大人計画事務所の社長に、『その暗いところを一回全部出してみちゃえばいいじゃない』って言われたんです」 「ずっと憧れていた細野晴臣さんに『歌のアルバムを』とレーベルに誘っていただいたことがきっかけでした。人生で絶対に逃したらいけないものが、目の前に現れた瞬間だったと思うんですよね。でもそれをつかむには、自分が丸裸にならないといけない恐怖があった。そこで決断できたのは、おふたりの言葉があったから。あとはそれ以前に、恐怖を感じるような決断を何度かしてきたからだと思います」
それはまだ高校生だった頃にさかのぼる。演劇に魅了されていた星野は、学内で演劇の自主公演をおこなった。お前になんかできるはずがないと、周囲に引き留められたにもかかわらず。 「ところがまわりの声をスルーして、好きなようにやったら客席が満員になったんです。それで周囲の人たちの見る目が、オセロみたいにパタパタと変わっていきました。同じようなことが、ライブをはじめる時とか、自主制作でCDを出す時とか、人生の中で何度かあったと思います。考えてみると、褒められて育ってこなかったので、無条件の自信や自己肯定感みたいなものがないんです。だから新たに何かをやりたいと思うと、毎回恐怖が襲ってくる。でもやりたいことと恐怖がセットになった時は、踏み込んだほうが面白いという経験値が生まれたんでしょうね。自分の力で自己肯定力を手に入れた。歌うことは人生最大の恐怖だったけど、そのおかげでやろうという決断ができたんです」 2012年にくも膜下出血を発症した時も、星野を恐怖が襲った。レコーディングを終えた瞬間、目の前の風景が90度回転し、スタジオの床に倒れた彼は、激痛とともに救急車で運ばれた。 「救急車の外側しか見たことがない人って多いと思うんです。救急車の内側と外側は、薄い壁を隔てただけなのに、まるっきり違う世界でした。何て言うんだろう、救急車で運ばれる時、異世界に入っていく感じがして。集中治療室や手術室もそうでした。異世界に行ったまま、もう二度と戻れないんじゃないかという、そんな恐怖がありましたね」 集中治療室で天井を見ながら過ごす、ひとりきりの眠れない夜は、特に恐ろしい時間だった。しかし2度の手術を挟むその入院生活で、はっきりとわかったことがある。 「激痛と吐き気と不快感全部盛りの中で、体は動かせなくて、とにかくおかしくなりそうなのをギリギリで耐え続ける集中治療室の3日間というのがあって。そこで希望とかポジティブとか、そういう感情は全部なくなりました。心が完全に折れて。でも、3日間終えて一般病棟に移された時に、ふと『そうか、治そうとしてるからこんなにつらいんだな』って思ったんです。身体が苦痛を訴えるのは、細胞を復活させようとしているからだし、戻れないかもしれないって恐怖を抱くのは、戻りたいと感じているから。そう考えると、恐怖は人間にとって必要な感情なんだろうなと思います」