ラムセス2世の在位70年、子ども100人の「代償」とは 古代エジプトの「最も偉大な王」
砕け散った偉業
ラムセスは、長い生涯を通して多くの妻たちとの間に子どもをもうけたが、後継者たる息子たちは、長い間忍耐を強いられることになった。父親が70年近くにわたって王位を守り続けていたからだ。 ラムセスは、子どもたちを官僚、役人、神官、将軍などとしてエジプト中に自在に配置し、自然には生まれないであろう忠誠心をつちかった。 ラムセスはアウトサイダーであり、ナイル川デルタ出身の北方人で、南にあるテーベのエリートたちの豊かさとは無縁だった。ラムセスの権力基盤は、富裕層や宗教階級ではなく、軍隊だった。エジプト中で息子たちを権力ある地位に就けることは、支配力の強化に役立った。 ラムセス2世が亡くなったのは紀元前1213年。90歳近くになっており、多くの息子よりも長生きすることになった。 ラムセスの長男で後継ぎだったアメンヘルケペシェフは、25歳で他界した。カエムワセトも、偉大な父より長生きすることはなく、紀元前1215年ごろに50代半ばで亡くなった。 結局ラムセスの後を継いだのは、イシスネフェルトの息子で第13王子のメルエンプタハだった。メルエンプタハがファラオになり、エジプトの二重王冠をかぶったのは、中年を過ぎた60歳前後のときだった。 何十年も待ちつづけていたメルエンプタハは、父と同じような安定した治世を期待していただろう。しかしそうはならなかった。 10年間の治世を通して、なんとか東西の敵からエジプトを守り切ることはできた。しかし、メルエンプタハの死後、ラムセス2世が蒔いた種によって大混乱が起きることになる。王位を争う者たちの中には、ラムセス2世の息子たちもいた。この内乱によってエジプトは衰退し、紀元前1189年ごろには、第19王朝は終焉を迎えた。
文=Maite Mascort/訳=鈴木和博