ラムセス2世の在位70年、子ども100人の「代償」とは 古代エジプトの「最も偉大な王」
たくさんの息子と娘
ラムセス2世は、ハーレムの妻たちとの間に、100人を超える子どもたちをもうけた。その中には重要な役割を果たすことになる者もいたが、モニュメントに現れるのは、ネフェルタリとイシスネフェルトとの間にできた子どもたちだけだ。 ヌビアのベイト・エル・ワリ神殿には、父セティ1世との共同統治者時代の若きラムセスが、ヌビア人の反乱を鎮圧する様子が描かれている。ファラオの戦車の横には2人の姿がある。ネフェルタリとの最初の子どもアメンヘルケペシェフ、そしてイシスネフェルトとの息子であるカエムワセトだ。 ラムセス2世の息子の中で、特に気に入られていたと考えられているのが、カエムワセトだ。カエムワセトは、武器を取って兄(同じくラムセスという名前だった)と争うことはせず、プタハが守護する職人のグランドマスターとなった。プタハはメンフィスの創造の神であり、これはテーベのアメン大司祭と同等の称号だ。 カエムワセトは父の名で多くのピラミッドを復元した。第5王朝のファラオ、ウナスのピラミッドを修復したのはカエムワセトだ。 さらにカエムワセトは、メンフィスにおける聖なる雄牛アピスを埋葬したサッカラのセラペウムなどの計画や指揮も行った。 1850年にフランス人考古学者オーギュスト・マリエットがセラペウムを発掘したとき、カエムワセトという名前のミイラが見つかった。金のマスクを着け、まわりにはウシャブティと呼ばれるいくつかの小像が置かれていたが、これがラムセス2世の息子なのかはわからない。カエムワセトの墓がどこにあるかも不明だが、サッカラの集団墓地にあるという説が有力だ。 ラムセス2世の娘たちも、宮殿の重要な役割についていた。実の父と結婚して王の妻となった娘も少なくない。第18王朝のファラオは、娘と結婚するのが慣例だった。アメンホテプ3世は、王妃であるティイが生きている間に、娘のスィトアムンと結婚した。その後もアクエンアテンが、王妃ネフェルティティとの間にできた娘の少なくとも2人と結婚している。こういった結婚が実体を伴ったのか、純粋に儀式的なものだったのかは、誰にもわからない。 ネフェルタリとイシスネフェルトの死後、ラムセス2世は何人かの娘を妻とした。カルナック神殿に彫像があるビントアナト(イシスネフェルトとの最初の娘)、続いてメリトアメンとネベイタアウィ(どちらもネフェルタリとの娘)、さらにヘヌトミラーだ。 娘たちのほかに、一族以外の王女たちにも「偉大な王の妻」の称号を得た者がいる。たとえば、ヒッタイト王の娘であるマアトネフェルラーのほか、名前がわかっていない別のヒッタイトの王女もいる。 カエムワセトが最愛の息子だったとすれば、最愛の娘はビントアナトだろう。ビントアナトは、「偉大な王の妻」ばかりでなく、「2つの国の貴婦人、上エジプトおよび下エジプトの君主」という称号も得た。アブ・シンベル神殿でも正面の目立つ場所を占めていて、ネベイタアウィとともにラムセス2世の両側に配置されている。なお、ネベイタアウィの母はイシスネフェルトであるという説も、ネフェルタリであるという説もある。