教育熱心と心理的虐待のボーダーとは?かつては親を毒親だと思っていた姫野桂さんが語る【体験談】
児童相談所の相談件数では実は一番多い「心理的虐待」。『心理的虐待 ~子どもの心を殺す親たち~』(扶桑社)では、フリーライターの姫野桂さんが、サバイバーや専門家に取材を行い、心理的虐待がどのようなことか、与える影響や、対策について書かれています。後編では、姫野さんご自身の心理的虐待の経験や、かつては親を「毒親」だと思っていたものの、考え方が変わったことなどを伺いました。 <写真>教育熱心と心理的虐待のボーダーとは?かつては親を毒親だと思っていた姫野桂さんが語る【体験談】 ■教育虐待や過干渉がつらかった ――姫野さんは取材のテーマとして心理的虐待に関心を持ったとき、どのくらい知っていたのでしょうか? 全く知らない状態に近かったです。夫が離婚歴があって、元妻が子どもの前で父親の悪口を言ったり、嘘を吹き込んだりと、心理的虐待に当たるようなことをしていて、関心を持つようになりました。 取材を進めたり、今回、心理的虐待が脳へ与える影響についてお話を伺った、福井大学子どものこころの発達研究センター教授の友田明美さんの本を読んだりしているうちに、私は発達障がいの一つである学習障がい(LD)によって、算数が著しくできなくて、ずっと計算ドリルをやらされていたのですが、それは今思うと、教育虐待や心理的虐待だったと気づきました。 以前は親の過干渉にも苦しみました。私の世代はミニスカートで、首元を開けてネクタイを緩めたファッションが流行って、同級生は少し化粧もしていたのですが、親からそういった校則違反行為は全部禁止されていて。私服もギャル系ファッションが流行っていたのですが、全部制限されていたのはつらかったです。 ただ、現在両親との関係が悪いわけではないです。 ――過去にされた行為そのものは心理的虐待だったものの、今は親のことを悪く思ってはいない、ということですよね。どう整理されていったのでしょうか。 今は整理がついているのですが、はっきりと「このタイミングでした」と答えるのは難しいですね。一人暮らしを始めて、物理的に距離を置いて、連絡頻度も少なくしていったら、少しずつ自分の気持ちは楽になっていきました。 ただ、一番大きかったのは、私がライターとして職を得たことだと思います。大学卒業後、3年間事務職をやったものの、発達障がいの特性との相性が悪くて全然仕事ができなかったのですが、ライターとして働き始め、自分の本を出して、活躍の場が増えてからは親もわかってくれて、応援してくれています。 30歳の頃に、発達障がいの診断が下りてからは、親の中でも、なかなか計算ができなかったことと、算数LDの症状が結びついたようです。 ■かつては「毒親」だと思っていた ――2021年刊行の『生きづらさにまみれて』(晶文社)では、ご自身の経験も含めて「毒親問題」について言及されていました。 当時は「うちの親は毒親だ」と思っていたのですが、刊行後しばらくして、確かに過干渉はひどかったものの、実家を離れてからも、地元の名産品を送ってくれたりして、心配してくれているのだと感じました。 以前「女の人が一人で生きていくのは大変なのよ」と言われたこともあって、今37歳で、今年結婚しましたし、長い間パートナーもいなくて、そういう面からも心配していたのだと思います。過干渉はつらいものではあったのですが、心配から生じた行為だったのだという整理をしました。 少し前に母が脳梗塞で倒れてしまいました。母は血圧は低かったですし、喫煙もしないですし、毎日運動もしていて、むしろ健康的な生活を送っていたくらいです。ただ、脳梗塞の原因にストレスもあると聞いて、祖母の介護もありましたし、私が見ていたよりも母は苦労していたのだと思って。 健康的な生活をしていたのに、倒れて左半身が麻痺してしまって、今はリハビリ中です。先日、結婚式を挙げたのですが、そのときも車椅子で移動していたり、杖をついてなんとか歩いていたり、移動は全てタクシーになっている様子を見て、私も色々考えてしまって……。実家に帰ったときはガミガミ言われ、煩わしく感じていたこともあったのですが、離れてありがたみを感じています。 ――心理的虐待をする親が100%悪い親かというと、そうではなくて、優しくしてくれたり、楽しい思い出もあったりするとは思います。でもやはり親からされたことがつらかったという場合で、「親から心理的虐待を受けていたことを認めたいけれども、認めるのが難しい」という場合にどう考えを整理できそうでしょうか。 親に否定的なことを言われたのは、心理的虐待に該当します。進路で「この大学に行きなさい」「将来は公務員になりなさい」など、子どもの気持ちを尊重せず、親が進路を決めてしまうのも心理的虐待です。 心理的虐待にあたることは、日常的な出来事で、多くの人が経験していると思います。そういう経験があった方は「自分は心理的虐待を受けていた」と捉えていいのではないかと思います。かといって、親を恨まなきゃいけないわけでも、今の関係を変えなきゃいけないわけでもありません。 ――姫野さんご自身がADHDと算数LDの発達障がいがあるとのことで、本書では、発達障がいゆえのミスによって、心理的虐待につながってしまう恐れについて書かれていました。どんなことに気をつけたらいいのでしょうか。 子どもの頃に、発達障がいによってできないことがあると、親は「なんでこんなこともできなんだろう」と怒ってしまうと思うのです。できないことがある=発達障がいを疑ってみて、できないことを無理強いせず、できることを伸ばして褒めてあげたらいいと思います。 私自身は、算数LDで計算が本当にできず、親に怒鳴られながら何度も計算ドリルをやっていて苦しかった一方で、作文を始め、国語はすごく得意だったので、それは褒めてもらえました。 高校2年生でクラスが文系と理系に分かれ、理系を勉強しなくていいことがすごく楽で、それまでは成績が中の下だったのですが、文系だけになったらクラスで2番を取ることができましたし、勉強に関する劣等感も和らいで。30歳の頃に診断が下りるまでは、ただ算数や数学が苦手なだけだと思っていたのですが、私は障がいのせいで、できなかったのだとわかりました。 ■他人事ではない「心理的虐待」 ――心理的虐待そのものについて、取材前後でイメージの変化はありましたか。 世間の認知度が低いことを感じました。 あと行政にも取材の問い合わせをしたのですが、「まだ行政として話せることがあまりない」という趣旨で、全部断られてしまって。もう少し発信に力を入れてほしいとは思いました。 ――「虐待」という言葉に距離を感じている人もいるかもしれませんが、心理的虐待の例を見ると、一度もその言動を受けたことのない人というのはほとんどいないのではと思うくらい身近なことだと感じました。今回の取材を通じて、心理的虐待についてどんなことを読者に知ってほしいでしょうか? 「こんなことも心理的虐待になるんだ」ということを多くの方に知ってほしいという思いで、取材や執筆を行いました。「こんなのただのしつけの一環じゃん」と思うようなことでも、それは心理的虐待であって、子どもに中長期的な影響を与え得る行為だということを伝えたいです。 【プロフィール】姫野桂(ひめの・けい) フリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ、。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は社会問題、生きづらさ。 著書に『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『生きづらさにまみれて」(晶文社)、『ルポ 高学歴発達障害』(ちくま新書)など。 インタビュー・文/雪代すみれ
雪代すみれ