「同志社蹴って地元で進学」彼が下した決断の背景。60年の人生に大きな影響を与えた1浪の浪人生活
両親の教育指導の甲斐もあり、成績もよかった山西さんは、その勢いを維持したまま中学校に入ると100点を連発します。2学期に入って栗山町に転校してからは使用する教科書や授業の進度の違いから、「I am TV.」といった英文を書いてしまい、成績が下降するも、NHKラジオで基礎から英語を学び始めて挽回し、成績表の英語・国語の評価は5段階でずっと5、社会・数学・理科も4でした。 勉強に力を入れた結果、高校は進学校である北海道札幌開成高等学校(※現:札幌開成中等教育学校)に進学することができました。
■成績はよかったものの、高校入学時は振るわず こうして高校に進んだ山西さんでしたが、入ったときの成績は振るわず、1学年450人の中で428番からのスタートでした。 ただ、熱心に勉強をした甲斐あってどんどん順位を上昇させ、高1の最後のほうにはクラスの中で3/45位まで上昇しました。 「1年生から硬式テニスをしていたので、練習が終わって、帰ってきてから勉強をしていました。夜の20時から23時まで毎日3時間、少ない日も確実に2時間はやっていたと思います。それもあって、成績は、12位、9位、6位と上がっていき、最後のテストでは3/45位になりました」
2年生に上がっても勉強時間をより確保し、順位は3位前後をキープ。最終的には学年で23/450番まで順位をあげることができました。 このころには小学校の先生になるという夢を抱いて、北海道教育大学教育学部札幌分校を第1志望にした山西さん。志望校も射程圏内に入ったかと思われましたが、高校3年生に入ってから状況が一変します。 ■まさかのスランプに突入 「高3の6月から、大スランプに陥ってしまいました。ノートをきちんと作って勉強しても、頭に入らず抜け落ちてしまいました。当時はもう、大学受験どころか、卒業すら怪しいと思うほど勉強ができなくなりました。最後までそのスランプの原因がわからないまま、共通1次試験を受けたのですが、538/1000点しか取れませんでした」