「渡辺」のルーツは、大阪市の中之島にあり。「渡邊」「渡邉」との違いは?
渡辺(わたなべ)
「渡辺」という名字には「渡邊」という書き方もあります。また「渡邉」という人も多いです。この他にも「辺」の部分にはいろいろな書き方がありますが、ルーツ的にはすべて同じです。 本来は旧字体の「渡邊」で、それを新字体にした「渡辺」が最も多いです。そして、「渡邉」は古くから使われている異体字(違う書き方の漢字)です。 古い時代には、現代のように漢字の細かな部分まで正しく書くことはあまり求められていませんでした。そもそも昔は活字も教科書もなかったことから、何が正しい字体かという認識は乏しかったのです。そのため、難しい漢字には多くの異体字があり、それらも普通に漢字として通用していました。 さて、「渡辺」のルーツは地名にあります。ただし、現在「渡辺」という地名は存在しません。その場所は今の大阪市の中心部、中之島のあたりです。 平安時代には、大阪湾はこのあたりまで入り込んでいました。そして、都から西国に行くにはここから船で瀬戸内海に出るという重要な湊でありました。そのため、「渡しの辺り」という意味でこの付近が「渡辺」という地名になり、そこに嵯峨源氏の一族の武家が住み着いて、地名から「渡辺」と名乗ったのが始まりなのです。 「渡辺」という地名は消滅しましたが、堂島川には渡辺橋が架かっている他、京阪電車には渡辺橋という駅もあります。さらに、渡辺のルーツの地に建つ坐摩(いかすり)神社の住所は「大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺」となっています。
森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家 1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。
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