フルモデルチェンジたった2回 世界の名車「ジムニー」
ジムニーの誕生
さて、日本ではどうだったのだろう。終戦後、三菱がジープのノックダウン生産を行い、三菱ジープとして自衛隊に納入した他、当時の農林省や警察庁、消防庁など、過酷な路面状況を走破できる働くクルマとして販売された。戦時中、鹵獲(ろかく)されたジープを元に軍の要請でトヨタが少数を生産した先例はあるにあるが、本格的に日本にクロカン四駆が入ってきたのは、進駐軍の本家ジープとこの三菱ジープだ。 しかし日本の農道や林道は道幅が細く、ジープでは大きすぎることが多い。そこで軽自動車の枠の中でジープの様なクルマが作れないかと考えたメーカーがあった。1967年に、ホープ自動車というその会社は意欲的な軽自動車の四輪駆動車を設計生産したが、販売が思うようにいかず、その製造権を買い取ったのがスズキである。 スズキ・ジムニーがデビューしたのは1970年のことだ。ジムニーの名前は「ジープ・ミニ」に由来するという。ジムニーもまたジープの子孫なのだ。ランドローバーとレンジローバーはその走破性を世界中の冒険旅行で証明してみせたが、このLJ10型ジムニーもまたそれに負けず劣らず素晴らしい走破性を見せた。
空冷2サイクル360ccのエンジンは、わずか26馬力と3.4kgmに過ぎなかったが、車両重量もまたたった600キロ。全長2995ミリ、全幅1295ミリ、全高1670ミリというその軽量小型を活かして、ジープもランドローバーも寄せ付けない小径に、ただジムニーだけが分け入り、必要とあれば細い木橋ですら渡りきる世界で唯一無二の量産車となった。 小さくて軽いだけではない。その最大登坂能力は27.5度と世界のトップクラスに匹敵する数値を叩き出している。ジムニーは世界クラスのその走破能力で名車という地位をつかんだのである。
たった3世代で45年
マーケットから予想を超える高い評価を受けたことを背景に、2年後の1972年にジムニーは改良を受ける。エンジンは2ストローク360ccながら水冷化され、馬力とトルクがわずかに向上した。ボディサイズは当時の軽自動車の枠いっぱいなので変わらないが、従来の幌型に加えてメタルトップが与えられた。 この後、軽自動車規格の改正への対応などの変更を加えながら、初代ジムニーは10年以上に渡って生産され、1981年に二代目にスイッチする。この二代目は驚くほど長寿で約18年間にわたり多くのユーザーに愛され、軽自動車の衝突安全基準が採用された1998年に三代目に引き継がれた。そして三代目は17年後のいまなお現役だ。たった3世代で45年という時代を生き、その間ずっと世界で高い評価を受け続けている国産車は唯一無二だと言っていいだろう。