日本女子王者第1号は9頭身モデルボクサーでなく美人シングルマザーボクサー
噛み合わないような展開に持ち込んだ吉田の戦略と、何より「勝ちたい」という気持ちで上回った気迫の勝利である。接近戦を不得意とする高野を、その土俵に引きずりこみ、同時にリーチを生かした強力なパンチを殺すには、インファイトしかなかった。「だが(懐に)入れるかどうかの不安があった」という。 吉田はその不安を打ち消すため、ワタナベジムで、リーチ、上背のある東洋太平洋女子スーパーバンタム級王者、後藤あゆみの胸を借りた。週に2度スパーに通った。 「後藤さんはサウスポーなんですが、その懐に入れるならば、高野さんの中には入れると」 体格で、吉田を遙かに上回る“オヤジファイター”とも週に2度、拳を交えた。 歴史にその名を刻むことになる、真っ白な初代日本女子王者のベルトを腰に巻いた吉田は、リング上で2歳になる愛娘の実衣菜を抱えあげた。 「めっちゃうれしいです」 シングルマザーである。 20歳で単身米国へ渡り、総合格闘技、キック、シュート、ムエタイなどで17戦を戦った後、「ベルトをつかむ」と、2014年5月にボクシングに転向した。だが、愛娘を身籠ったことで、一度ボクシングから離れた。2016年に復帰後、2か月に一度のペースの試合を積み、このチャンスを手にした。 ベルトの創設会見では「勝ってジムに恩返しをしたいし、シングルマザーとして娘の自慢の母にもなりたい」と語っていた。普段は、スポーツトレーナーの仕事で生計を立て、ジムワークには娘を連れていくが、その間、ジムの他の会員さんやスタッフらがお子さんの面倒を見てくれている。だから、吉田はいつも元日本ウェルター級王者の加山利治・会長と、ジムの仲間への感謝を忘れず、この日も「ジムの皆さんのおかげです」とリング上からお礼を述べた。 次なる夢をこう語る。 「初代王者にふさわしい選手になりたい。藤岡さんに憧れてボクシングに転向したので、一歩でも近づけるように、カッコいいと言われるチャンピオンになりたいです」 4階級制覇の王者、藤岡菜穂子(竹原&畑山)の名前を出した。