発売から30年経っても夢中になれる、はやみねかおるの「名探偵 夢水清志郎」シリーズ。読者を子ども扱いしない名作推理小説【書評】
「はやみねかおるを知らない人はいても、好きにならない人はいない」というのは友人の弁だけれど、至言だと思う。初めて『そして5人がいなくなる 名探偵・夢水清志郎事件ノート』(講談社)を読んだときの衝撃は忘れられない。
黒い背広を身にまとい、黒いグラサンをかけた背の高いやせた男。自分の年齢も、難事件を解決して警視総監の立場を守ったという過去の栄光も、何もかも忘れてしまうほど記憶力がなくて、意地汚いくせに本を読みふけっていると何日も食事をすることすら忘れてしまう彼は、ひとたび謎にたちあえば華麗にすべてを解き明かしてしまう。これまで出会ったなかでもっとも常識がなくて、もっとも粋な名探偵・夢水清志郎との出会いの一冊である同作を、小学生の私は、それこそおやつを食べるのもトイレに行くのも忘れて読みふけった。 そして今、30年近い時を越えて改めて読んで、断言できる。こんなおもしろい小説、読んで好きにならない人がいるわけない。小説を読むのが苦手でも、映画なりドラマなりマンガなり、物語を「おもしろい」と思った経験のある人なら、絶対に夢中になるはずだ、と。 本作は、夢水清志郎がとある洋館に越してくるところから始まる。下手な毛筆で書かれた「名探偵」の表札に興味をそそられた隣人の少女――「わたし」は、果たして本当に彼にその実力があるのか確かめるため、チャイムを鳴らす。まず、この「わたし」との対面シーンからして、読者に挑戦状がたたきつけられているのが、にくいところ。夢水清志郎は、見事、「わたし」の隠した謎を解き明かし、名探偵であると認めさせることができるのだが、注意深く読めば読者も見抜くことができるので、ぜひ挑戦してみてほしい。 ただ、前述のとおり、常識がなくて(常識はずれ、というよりも、無である)、意地汚くて、ソファでゴロゴロしているだけのふだんの姿が、あまりに名探偵像とかけ離れているので、「わたし」は「教授」と呼ぶことにする。もともと大学で論理学の教授をしていたから、というのがその由来だ。そしてやがて、「わたし」と一緒に訪れた巨大アミューズメントパークで、伯爵と名乗る謎の男が、少女を舞台上から消失させて行方をくらませてしまうという事件に遭遇することになるのだが……。 これがまあ、子ども向けとは思えぬ、本格ミステリーの構造なのである。フランス語を駆使する気障な伯爵との対決は、ホームズvs.モリアーティ教授、あるいはルパンを目の当たりにしているようで、わくわくする(教授に言わせれば「ぼくを、あんな薬中毒の人やナルシストのどろぼうと、いっしょにしないでくれますか。」だけれども)。 とにかく文章のあちこちに仕掛けがちらばっているので、四の五の言わず、とっとと読んでほしいというのが正直な気持ち。文章もセリフも、子どもにも伝わるやさしい言葉だけれどウィットに富んでいて、ついつい吹き出してしまうこともしばしば。そしてなにより、教授は決して「わたし」のことも読者のことも子ども扱いしない。誰に対しても平等で、フラットなまなざしを向けているからこそ、世の中は優しさだけでできてはいないこと、痛みとかなしみが潜んでいることも理解している。そんな彼が、自分のできる範囲で、光の見える解決を見出そうとする姿に子どもながらに打たれたし、今なお、憧れてしまう。最強……というには、あまりに推理力以外がポンコツ。だけど、最高であることは間違いなしの名探偵を、知らないままでいるのは、あまりにもったいない。 文=立花もも
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