なぜW杯出場を決めた豪州戦で森保監督の采配がズバズバ的中したのか…「積極と消極の2つの判断がある場合は積極を」
森保監督が授けた言葉は、いまも脳裏に刻まれる、現役時代の苦い思いに起因する。1993年10月。悲願のワールドカップ出場へあと数分と迫りながらもイラク代表に追いつかれ、夢を絶たれた「ドーハの悲劇」のピッチに指揮官もボランチとして立っていた。 「最善の準備をして、ベストを尽くすことは当時もできた。しかし、夢に手がかかったところで、守りに入ってしまったところがあった」 悲劇の舞台裏をこう位置づける森保監督は以来、目指す場所へたどり着くための鉄則として「相手が与えてくれるものではない。自分たちから勝ち取り、つかみ取る」を掲げ、代表監督としても機会があるたびに選手たちに伝えてきた。 4分が表示された後半アディショナルタイムの最後に飛び出した、三笘の衝撃的なダメ押しゴールにも、森保監督が唱えてきたイズムが色濃く反映されていた。 左タッチライン際でパスを受けた三笘は、まず動きを止めた。次の瞬間、縦へ一気に加速してマーカーを置き去りにして、さらに中央へカットイン。4人目の選手が迫ってきた刹那に右足を振り抜き、強烈な一撃で相手キーパーのファンブルを誘った。 川崎時代から何度も見せてきたゴールを三笘はこう振り返った。 「キープして時間を作ることも考えたけど、相手も油断していたので意識的に逆を突いた。崩せば侵入していけるスペースがあったので、ここは行くしかない、と」 セオリーならば時間稼ぎとなる。しかし、自身の体力と絶対的な武器、さらに相手の消耗度を瞬時に計算した三笘のプレーもまた、指揮官が求める「積極的な判断」だった。 森保監督はさらに、ベルギーではウイングバックとして守備でも奮闘している三笘について、決して守備を度外視した起用ではなかったとも明かした。 「みなさんは攻撃の切り札だと思われているかもしれないが、攻撃だけでなく守備でもチームに貢献できることを川崎で培い、ベルギーでさらにレベルアップしている。無失点のままでいきながら、彼の攻撃力でチャンスが生まれると考えていた」 キャプテンのDF吉田麻也(33、サンプドリア)によれば、敵地ジッダでサウジアラビアに屈して2敗目を喫し、埼玉スタジアムでのオーストラリアとの第4節に臨むまでの間に、森保監督からすべての責任は自分が取るという話があったという。 「そのタイミングで森保さんは『いつでも辞める、退く覚悟を持っている』と話して、それが選手たちに覚悟という部分で伝わったところがあったと思う」 システムを4-2-3-1から4-3-3に変え、覚悟を持って臨んだホームでのオーストラリア戦を皮切りに始まった連勝は「6」に伸び、敵地でのアジア最終予選4戦目にして初めてオーストラリアからもぎ取った白星で最初の目標をかなえた。 もちろん、勝利を告げる笛は次なる目標へ向けたスタートとなる。 「自分たちから勇敢に、勇気を持って挑んでいく戦いをワールドカップでも表現できるようにしながら、世界に追いつき、追い越すためにどうすればいいかを考えていきたい」 喜びに浸るのも一日だけ。一夜明けた25日に帰国する森保ジャパンは、埼玉スタジアムで29日に待つベトナムとの最終節から新たなモードに突入する。 (文責・藤江直人/スポーツライター)