マンガ家 池田理代子「常に描きたいアイディアは500あります」物語の種はいつも頭の中に
今でも物語の種を考える。常時500個のアイディアをストック
――作品の着想についてもお伺いしたいです。やはりご興味のある本からということが多いですか? 池田先生:そうですね。 ――本との出合いはどうやって? 池田先生:偶然の出合いもあるし、書評を見て買うときもあるし。木原(敏江)さんや萩尾(望都)さんとかとも話していたんですけど、プロのマンガ家というのは、常時500個ぐらいはアイディアのストックを持っていないと何十年も続かないよねって。そうやってアイディアを書き留めておくと、時間がたって、その中のいくつかが熟成していくんです。 ――500個! たくさんあるアイディアのストックの中で、「ちょっとこれは無理かな」と、ご自身でボツにされたこともあるのでしょうか? 池田先生:あります、あります。たくさんあります。 ――そういったアイディアは今も考えていらっしゃるんですか? 池田先生:それはもう常に考えていますね。何か思いついたら「こういう物語はどう?」と家族に聞いて。そうすると「書いたら?」っていつも言ってくるんです。マンガが無理なら、小説でもって。 体力があったらもっと書いているんですけど、体力もないし、年のせいでメンタルも弱ってきていて。描きたくて、描きたくてしょうがない頃を過ぎて、描きたいものはあるけれど、描かないまま終わる作者が結構多いんじゃないかなと思います。人間、限りがありますから。 ――500もアイディアがあると、そういったものも出てきますよね。ぜひ、先生の書いた小説を読んでみたいと思ってしまいますが。 池田先生:どうなんだろう。私、小説が下手みたいで。昔、賞に応募したことがあるんですけどダメだったんですよ。 ――“応募”ですか? 編集部に直接言えば、「ぜひ、ウチで!」となりそうですが。 池田先生:デビュー前の話ですよ。選外佳作が最高だったので、才能がないんだなと思って。でも、短歌は好きで、いろいろと詠ませていただいています。 ――そうだったんですね。先生の短歌はストレートな言葉が響きます。『寂しき骨』に収録されていた「作品は男ものこす 我はただ 女に生まれた理由(わけ)を知りたし」などは、非常に印象に残っています。 池田先生:その歌は、「子どもが居なくてもいいじゃない。あなたは作品が子どもじゃない」と言われることに対する反発なんです。 短歌は、やっぱり技法とか色々あるらしくて、素直に、ストレートに歌にしちゃわないみたいですよ、本当は。 ――そこは、作る方の個性なのではと思ってしまいますけど。 池田先生:私もいいじゃないのと思うんだけど、結構批判されます。でもね、やっぱり他の方の歌を見ると、うまいなぁと思いますね。 ――先ほど、メンタル面のお話もされていましたが、メンタルが落ちた時のケア方法はありますか? 池田先生:うーん、何かあったら、映画見て、昼寝しよーって。人づき合いもしないし、家にこもっているので、映画は1日3本ぐらい見るんです。最近見たのだと、『7番房の奇跡』という韓国映画がとてもよかったですね。 ■一生懸命生きていれば、やりたいことがそのうち見つかる ――最後に、この記事を読んでくださっている方へのメッセージをお願いできますか? 池田先生:かつて、私にも自分が何をしたいのか、何になりたいのかわからない時期がありました。けど、一生懸命生きていれば、そのうち見つかるので、そこで逃げないでほしいです。私は6歳のときにピアノを始めさせられて、中学高校は音大を受験するつもりでいたんですけど、才能がないなと思って普通の大学の哲学科に入りました。結局、『オルフェウスの窓』を描いて、音大への憧れを昇華してしまおうと思っていたけれど、あきらめきれずに47歳で音大に入りましたから、我ながらしつこいなぁと思います。 ――その結果、声楽家としても活躍されて。47歳で音大に入学されたということで、勇気づけられた方もたくさんいらっしゃると思います。ずっと心に思っていたことを始めるときや、新しい世界に飛び込むときに、遅いってことはないんだなというか。 池田先生:もちろん、それぞれ始めるのに適した時期はありますけど。私が今から新体操を始めるっていったって。ね?(笑) ――(笑)。音大受験の際は相当、努力されたそうですね。ドイツ語の成績が受験生の中で一番だったとか。 池田先生:実は…そのとき一番だったのではなく、学校始まって以来の成績だったそうですよ。ふふ。 ――カッコいい…! そうやって、ずっと憧れられる対象で居続けてくださるのが、本当にありがたいです。 ▶【池田理代子インタビュー前編】ヒットする自信があった『ベルサイユのばら』、夢を諦めるために描いた『オルフェウスの窓』 ▶【池田理代子インタビュー中編】70年代にトランスジェンダーを描いた『クローディーヌ…!』はどうやって生まれた? マンガ家・声楽家 池田理代子 1947年生まれ。1967年にマンガ家デビュー。1972年に『週刊マーガレット』にて連載を開始した『ベルサイユのばら』が空前の大ヒットに。そのほか、代表作に『オルフェウスの窓』『おにいさまへ…』『栄光のナポレオン エロイカ』などがある。45歳で音大受験を決意し、1995年に東京音楽大学声楽科に入学。現在も声楽家として活躍している。また、歌人としても活動しており、2020年に第一歌集『寂しき骨』(集英社)を発表。 撮影/森川英里 取材・文/山脇麻生 企画・構成/木村美紀(yoi)